雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

謎の武昌王子義

『酉陽雑俎』巻十四 諾臯記上
烏山下無水,魏末,有人掘井五丈,得一石函。函中得一龜,大如馬蹄,積炭五枝於函旁。復掘三丈,遇盤石,下有水流洶洶然,遂鑿石穿水,北流甚駛。俄有一船觸石而上,匠人窺船上得一杉木板,板刻字曰“呉赤烏二年八月十日,武昌王子義之船”。

魏末、烏山というところである人が井戸を掘っていると石の箱を見つけた。
箱の中には馬の蹄ほどの体長の亀がはいっており、箱の側には炭が積まれていた。
さらに掘り進むと、大きな石に突き当たった。
その下には水の流れがあるようであり、石を穿ってみると水流は大変早かった。
突然、一艘の船が上がってきた。
船上には一つの杉の板があり、そこにはこう刻まれていた。
「呉赤烏二年八月十日、武昌王子義之船」と。



ここでの魏末とは北魏の可能性がある。
何が言いたい話なのか正直さっぱりわからない。
怪異譚なのか、呉が地下水脈の開発を行っていたという証左なのか。
あるいはこれは武昌王子義の墓で呉では地下水脈に船型のでかい墓を浮かべていたということなのか。


一番の問題は、武昌王子義って誰?
武昌の王子義なのか武昌王の子義なのかもわからん。


呉には地下から魏に攻めようとした秘密部隊が存在した!というお話にしてもいいかもね。


呉に詳しい人の情報待ってます。