雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

少年老い易く学成り難し

少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲

SNSで韓国人の友達が、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」にはじまる一連の漢詩をつぶやいていた。
韓国でもこの詩有名なんだ、と思ったのと、友達は出典を朱熹『勧学詩』としていたので、あれ、朱熹の『偶成』じゃなかったっけ? と思い、ちょっと確認のためにググってみた。


wikipediaを見てびっくりした。

しかし、朱熹の詩文集にこの作品は見当たらない。そのことはかなり以前から問題になっていたが、平成年代に入ってから、近世以前のいくつかの詩文集に、ほぼ同じ内容の詩が、異なる題と作者名を伴って収録されていることが指摘されるようになった。


な、なんだってー(aa略


ずっと朱熹のだって信じてたのに……。


で、真の作者が誰かというと、wikipediaにも書いてあるんだけど
wikipediaソースだと単位がもらえないのでさらにwikipediaにリンクされていた論文を読んでみると
朝倉和『「少年老い易く学成り難し」詩の作者は観中中諦か』(広島大学国語国文学会「国文学攷」185、2005/03)(pdfリンク)

稿者が「少年老いやすく」詩に邂逅したのは観中中諦の『青嶂集』(梶谷宗忍氏訳注『観中録・青嶂集』、相国寺、昭和四十八年)においてである。ただし、題名は「進学斎」、さらに転句に大きな異同が見られる。
〔一四八〕進学斎
少年易老学難成
一寸光陰不可軽
枕上未醒芳艸夢
階前梧葉已秋声

日本の室町時代初期の五山僧、観中中諦(1342〜1406)の作とするものが最古のテキストだという。
この人が真の作者かは確定ではないらしいが、有力な候補であると思われる。
字句の異同などの話は論文を読んでください。


ずっと朱熹のだと思ってたし日本だけでなく韓国でも朱熹の作とされてるっぽいのにまさか日本の五山僧の作の可能性があるとは……。
朱熹の言葉とされたのは明治期の漢文教科書かららしい。
朱熹に託すことによって、権威づけでもしようとしたのだろうか。


朱熹のだろうと誰のだろうと
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」
という言葉の重みは変わらない。