蜀漢の刺史
劉備は除く。
刺史部 | 人物 | 時期 | 兼職 |
---|---|---|---|
益州刺史 | 諸葛亮 | 建興元年(223) | 丞相 |
益州刺史 | 蔣琬 | 建興十二年(234) | 尚書令行都護仮節 |
益州刺史 | 費禕 | 延熙七年(244) | 大将軍録尚書事 |
涼州刺史 | 魏延 | 建興五年(227) | 督前部領丞相司馬 |
涼州刺史 | 姜維 | 延熙六年(243) | 鎮西大将軍 |
雍州刺史 | 呉壹 | 諸葛亮卒建興十二年(234) | 車騎将軍仮節督漢中 |
交州刺史 | 李恢 | 章武元年(221) | 庲降都督使持節 |
冀州刺史 | 張翼 | 景耀二年(259) | 左車騎将軍 |
并州刺史 | 廖化 | 張翼と同時期?景耀二年(259)? | 右車騎将軍仮節 |
荊州刺史 | 呉壹 | 建興九年(231)時点 | 左将軍 |
兗州刺史 | 鄧芝 | 諸葛亮卒(234) | 前軍師前将軍督江州 |
兗州刺史 | 胡済 | 諸葛亮卒(234)以降*1 | 中監軍前将軍督漢中仮節 |
兗州刺史 | 宗預 | 景耀元年(258) | 鎮軍大将軍 |
兗州刺史が意外と多い。
実際に統治下にあった益州、呉との緊張が高まっていた交州は当然のことながら、旧統治下の荊州、北伐で度々一部統治下においてる涼州の刺史、も実際的意味がありそう。
諸葛亮の生存中にはそれ以外の刺史は見られない。
諸葛亮が死ぬと兗州刺史が置かれ、蜀漢最後の元号、景耀中には并州や冀州の刺史も置かれている。
このあたりの諸葛亮死後の変化は考察の余地があるかもしれない。
揚州は同盟国呉の支配下であるからわかるが、青州、徐州、豫州、幽州の刺史がみられないのはなぜだろう。
いたけど記録に残ってないだけかもしれないが。←追記しました、呉との盟約のため
追記)ツイッターで六合さん、コメントでにゃもさんから情報をいただきました。
https://twitter.com/#!/Mar__sch/status/184975468007661569
http://d.hatena.ne.jp/chincho/20120328/1332935156#c
青州、徐州、豫州、幽州は呉との盟約で呉のものとなっている模様。
『三国志』巻三十九 陳震伝
震到武昌,孫權與震升壇歃盟,交分天下:以徐、豫、幽、青屬吳,并、涼、冀、兗屬蜀,其司州之土,以函谷關為界。
建興七年(229)、孫権が帝位に就いたため、陳震が呉に行った。
そこで、徐州、豫州、幽州、青州は呉に属し、并州、涼州、冀州、兗州は蜀に属すこととなった。
また司隷は函谷関を境界とした。
荊州はどうなったんだろう。231年に任命してるけど。
とはいえ蜀は一応その盟約をまもってたようだ。
*1:鄧芝の後任か?