雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

兗州反乱の構図

成人式で実家に帰ったり、テスト期間だったりで忙しかったので久しぶりの更新


兗州の反乱には応仁の乱的な兗州豪族の宗族内の主導権争いが絡んでいるのではないかと思い始めた。
同じ姓だからといって同族と見なすのは危険であるが、曹操側と呂布(張邈)側に同じ姓の者が多く見られる。*1


李氏でいうと曹操側の李乾と李典、呂布側の李封
薛氏でいうと曹操側の薛悌、呂布側の薛蘭
王氏でいうと曹操側の王必と王国、呂布側の王楷


宗族内の争いは特に史書には書かれていないが、張邈や陳宮らが宗族内の争いを巧みに利用したと考えると面白いと思う。

追記

曹操側の薛悌は低い身分の出身であり、また呂布側の薛蘭を八俊の一人であった薛蘭と同一人物であるとするならば、宗族内の新興勢力VS既存勢力と見ることも出来るかもしれない。
新たに入ってきた曹操が新興勢力と結んだことで、既存勢力との間に軋轢を生じ、既存勢力は巻き返しを図って反乱したという構図があるのかもしれない。


まだうまくまとまってないのでまたこれについては触れるかも知れない。

一言

かもしれないと言い過ぎかもしれない

*1:同じ地方だから当然ではある