夏侯纂の三顧の礼
夏侯纂といえば、劉備の益州制圧時の広漢太守である。
大学者秦宓を招聘しようとして断られた人だ。
『太平寰宇記』巻七十三 漢州徳陽県条
秦宓宅
李膺記*1云:三造亭秦子勅*2之宅也。太守夏侯纂三造門、故以為名。按其宅綿水衝毀、僅有餘跡。
秦宓の家
李膺の『益州記』にこうある。三造亭は秦宓の家である。太守夏侯纂が三度門に至ったため、この名がついた。その家は綿水(川の名)に浸食され、わずかに跡が残るのみである。
造ってのは至るって意味があるらしい。
本当かどうかはしらんけど、夏侯纂は秦宓を三度訪ねていたそうだ。
夏侯纂は豫州時代の劉備に仕えたという説は前に取り上げた。
http://d.hatena.ne.jp/chincho/20120309/1331304831
きっと夏侯纂は劉備が諸葛亮に三顧の礼をするのを見ていたから、自分もおなじ事をやろうとしたんだろう。
まあ失敗したけど(笑)