第五姓
第五という姓が中国にある。*1
後漢書を読んだ人なら第五倫や第五種、第五訪などを知っているかもしれない。
三国志を読んだ人なら三休の一人である第五文休*2をご存知かもしれない。
面白い姓だと思ったので由来を少し調べてみた。
『後漢書』第五倫伝
第五,其先齊諸田,諸田徙園陵者多,故以次第為氏。<訳>第五姓の先祖は斉の田氏であり、多くの田氏が園陵(皇帝の墓地)に移ったので、(家の俸禄の)順番を氏とした。
順序でつけて第五がいるんだからほかの順番の姓も在るかもと思い調べてみると
『古今図書集成』明倫彙編氏族典/第二姓部
彙考)第二,其先齊諸田,漢武帝徙之諸陵,以門秩次第,田廣之孫,舊登為第二氏。<訳>第二姓の先祖は斉の田氏であり、漢の武帝*3が彼らを陵墓に移し、家の俸禄の順番によって、田広*4の孫の田旧登を第二氏とした。
列伝)唐:第二從直、按《萬姓統譜》:從直,元宗時任中尉。
<訳>唐:第二従直、『萬姓統譜』によると第二従直は唐の玄宗*5(712年〜756年)のときに中尉に任じられた。
『古今図書集成』明倫彙編氏族典/第八姓部
彙考)第八,出陳《風俗通》,亦齊諸田之後,田廣弟英為第八門,因氏焉。
<訳>第八姓は『風俗通』*6によれば斉の田氏の後裔であり、田広の弟の田英が第八の家柄だったので、第八を氏とした。列伝)漢:第八矯、按《萬姓統譜》:矯,王莽時講學大夫。
<訳>漢:第八矯、『萬姓統譜』によると第八矯は王莽の時(8年〜23年)の講学大夫であった。
第二と第八は見つかったんだけど、それ以外は見つからなかった。
田広の孫は第二となって、弟は第八となってるから、第一はきっと田広の長男だろう。
そう考えると、第五は田広の四男とかかな?