碑に生きた男
『隷釈』巻一、帝堯碑
(前略)故鉅鹿太守仲訢
故広宗長仲選
故呂長仲球
(後略)
帝堯碑(熹平四年:175年)の連名に、もとの鉅鹿太守仲訢、もとの広宗長仲選、もとの呂長仲球という人がいる。
この人たち、別の碑文にも連名している。
『隷釈』巻一、(成陽)霊台碑陰
司徒掾仲選孟高出銭千四百
鉅鹿太守仲訢伯海銭千四百
呂長仲球伯儀出銭三千二百
こちらは建寧五年(172年)のもので上の帝堯碑より古い。帝堯碑で故広宗長と書かれる仲選は当時まだ司徒掾だったようだ。
この碑で彼らの字がわかる。
仲選は孟高、仲訢は伯海、仲球は伯儀だ。
これは霊台碑の碑陰、ウラ側であり、オモテ側(碑陽)には彼らの経歴が僅かながら書いてある。
『隷釈』巻一、成陽霊台碑
仲訢伯海従右中郎将遷鉅鹿太守
仲球伯儀従太尉掾遷呂長
仲選孟高辟司徒府
仲訢は右中郎将から鉅鹿太守へ、仲球は太尉掾から呂長に、仲選は司徒府に辟招された。
彼らは史書には全く見られない、取るに足らない無名人物である。
しかし碑文の中にわずかながら生きた証が残っていたのだ。
史書にのらないような、事跡も残らないような、無名人物達の存在を感じさせくれる、それが碑文の面白い所だ。