雲子春秋

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蜀漢太守表3、巴西郡

人物 期間 前職 後職 兼官
張飛 建安十九年―章武元年 南郡太守 車騎将軍領司隷校尉 征虜将軍→右将軍
向朗 蜀平定後―すぐ転任 督四県軍民事*1 牂牁太守
閻芝 夷陵の戦い 不明 不明  
李福 建興元年*2 成都 尚書僕射 江州督、楊威将軍
呂乂   緜竹令 漢中太守  
劉幹   不明 不明  


張飛と向朗がかぶってるが、蜀郡太守法正とその代行楊洪との関係と同じなのかもしれない。
法正は蜀郡太守だったが、劉備に同行したため楊洪が代行の蜀郡太守となったという。
同様に張飛巴西太守だが、張郃の征討を行っており、その代理で向朗が民政を担当したのだろう。
向朗がすぐ転任しているのは、建安二十年に張飛張郃を破ったことと関係していると思う。


以下ソース

『華陽国志』巻六 劉先主志
建安十九年,(略)張飛巴西太守。

三国志』巻四十一 向朗伝
蜀既平,以朗為巴西太守,頃之轉任牂牁,又徙房陵。

三国志』巻四十三 馬忠
先主東征,敗績猇亭,巴西太守閻芝發諸縣兵五千人以補遺闕,遣忠送往。

三国志』巻四十五 楊戯伝 所引『季漢輔臣賛』
(李福)建興元年,徙巴西太守,為江州督、楊威將軍,入為尚書僕射,封平陽亭侯。

三国志』巻三十九 呂乂
乂遷新都、緜竹令,乃心隱卹,百姓稱之,為一州諸城之首。遷巴西太守。

三国志』巻三十九 呂乂
劉幹官至巴西太守

*1:四県=秭歸・夷道・巫・夷陵

*2:『華陽国志』は建興九年とするが、『三国志』に従う。