承制
建安二十年、曹操は皇帝から承制して諸侯守相を任命する権限を与えられた。
『三国志』巻一武帝紀注引『漢魏春秋』
天子以公典任於外,臨事之賞,或宜速疾,乃命公得承制封拜諸侯守相(中略)昔在中興,鄧禹入關,承制拜軍祭酒李文為河東太守,來歙又承制拜高峻為通路將軍,察其本傳,皆非先請,明臨事刻印也,斯則世祖神明,權達損益,蓋所用速示威懷而著鴻勳也.
承制とは、郡国の守相や将軍など、本来は勅任である官の人事の際、事前に奏請することなく、つまり皇帝の認可を経ずに任命することができる権限である。*1
光武帝の頃には、引用文に挙げられているように鄧禹や来歙が承制していた。
後漢末にも承制が行われている。
袁紹と韓馥は劉虞に承制することを勧めている。
また、袁紹自身が承制によって官を任命している。
韓馥を奮威将軍としたのをはじめとして、曹操を兗州牧に、呂布を司隷校尉に、烏丸の峭王を単于としている。
官吏の任命は「表●●為○○」のように書かれる「上表」のイメージが強いが、承制という別な任官方法もあった。
後漢末の上表は実質的には承制とほとんど変わらないかもしれないが・・・。
*1:おそらく事後に奏上したのであろう