魏の漢中太守
『古今図書集成』暦象彙編歳功典巻八十一に引く『廣志』
魏時,漢中太守王圖,毎冬獻筍,謂之䈛苛。
晋の郭義恭の撰である『廣志』によれば
魏の時代、漢中太守の王図は冬に筍を献上したという。
ここでは魏とあるが曹操が実権を握っていた後漢末期のことを言っているのではないだろうか。
具体的に言えば建安二十年(215年)の張魯降伏から同二十四年(219年)の劉備による漢中奪取までの間のことではないかと思う。
そして魏公就任を勧める書(213年)の中に見える「領護軍将軍王図」とこの「漢中太守王図」は同人なのではないだろうか。
さらに薛悌とともに左右長史となった東平の王国も同人と考えてもいいかもしれない。
ただそうすると王必とは別人と考えざるを得ない・・・。
そして彼は
このときの趙顒等の等に含まれているかも知れない・・・。(ノД`)・゜・。
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