雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

とある歴史の名門氏族

古今図書集成には謎の書物からの引用が数多くある。
今日はその中の一つ『汪溪族譜』を紹介しよう。
この書物の詳細は不明。情報求ム。
『汪溪族譜』はある一族の系譜が書かれており、古今図書集成に引用されているのもその箇所だ。
その一族とは漢代の名門「金氏」である。
前置きは長くなったが、それでは実際に見ていこう。

『汪溪族譜』金珍
珍字汝儒,都成侯湯五世孫。建武中,舉茂才,歴洛陽令、司馬長史,尋家南陽,其後子孫同居一百五十餘年,世稱義門。金氏子五人,彦文、彦伯,歴
博士,彦叔歴荊州刺史,彦貴歴南陽太守,彦生歴飛騎將軍。

まず金珍という人物が登場する。
彼は金湯の五代の孫であるという。
金湯は金氏の祖である金日磾の弟金倫の玄孫である。*1
建武年間に茂才に挙げられ洛陽令や司馬長史となり、南陽に子孫とともに百五十年余り暮らしたそうである。(長生きですね。)
彦のつく五人の子がいて、それぞれいろいろな官に就きました。めでたしめでたし。

『汪溪族譜』金君闕
君闕,珍曾孫,歴鉅鹿太守。子二人,次仲弘,字叔度,邑宰王公,以其家由司馬而下,五世同居,奏旌其門曰尚義。

次に出てくるのは金君闕。金珍のひ孫。鉅鹿太守。子が二人いて、次男の金仲弘は邑宰王公(王国・侯国の相?)した。
その家には金珍以下五代にわたって同居していた。
門には「尚義」の旗を掲げていたという。

『汪溪族譜』金尚
尚,鉅鹿太守,君闕孫,歴兗州刺史。子瑋,郎中。

そしてようやく出てきます。
三国志好きなら知ってるハズ。金尚さん!
兗州刺史に任命されて行ってみたら曹操に追い出されて袁術を頼る金尚さんである。
また、字は元休で、字に休のつく韋誕(休甫)、第五巡(文休)とともに三休と呼ばれていた。
彼は金君闕の孫だそうである。
子の金瑋は郎中になった。(金旋の子の金禕と名前が似ている、紛らわしい。)

『汪溪族譜』金道震
道震字東之,兗州刺史,尚曾孫晉。咸寧中授建康別駕,尋留家於官,子孫世居之。子三人,昭明益州刺史,昭惠飛騎將軍,昭顯義安將軍。

そして金尚のひ孫金道震。咸寧年間に建康の別駕となり、家を建康に移し、子孫は代々そこに暮らした。
昭のつく三人の子がいてそれぞれがんばった。


このあとも明までずーっと系譜が続くのであるが、めんどくさい!
気になったら古今図書集成で汪溪族譜を検索してね!
この系譜の信用度はあんまりないので注意してください。


正しいとするならば、三国志に出てくる金氏のうち金旋―金禕は金日磾の系統で、金尚は金日磾の弟の系統ということになって、なんとなく面白いような気がする。

*1:金日磾の子孫は孫以降衰え、弟の子孫が栄えた。系図:金倫―金安上―金敞―金渉―金湯