雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

ある漢中太守の死

昨日書いてる途中で寝てしまったorz


さて、突然ですがここで問題です。
張魯&張脩に殺された漢中太守は誰でしょう?


と聞かれてとっさに「蘇固」と答えられる人はぜひ私と友達になってください(?)


今日のテーマは「蘇固」


蘇固は扶風の人です。
扶風は蘇一族の本拠地みたいなもので、有名な蘇氏はここの出身であることが多いです。
蘇固もそんななかの一人だったのでしょう。


『華陽国志』中に名前の残っている蘇固の部下が二人います。
漢中郡成固出身、門下掾の陳調、字元化と漢中郡南鄭出身、従事の趙嵩、字伯高です。
(あとおそらく杜畿はこの時の漢中丞)


彼らが登場するのは、劉焉が張魯と張脩に命じて漢中を攻めさせた時です。


陳調は若い頃から侠を好み、また兵法を学んでいました。
漢中に兵が接近していることを知ると、陳調は蘇固に対して防衛策を説きますが採用されません。
蘇固は別な作戦をとります。


逃走です。ひでえヘタレだ・・・。


向かった先は趙嵩のところ。
趙嵩は彼をかくし、しばらくして様子を見て来ると言って出かけます。
それが死亡フラグであることを察知したかどうかはわかりませんが、なかなか帰ってこないので、蘇固は召使いをやって趙嵩を探させます。


それが運の尽き。召使いは敵に捕まり、あっさり蘇固の居場所をばらしちゃう。
蘇固は見つかって殺される。


死亡フラグを立てた趙嵩ですが、実はまだ生きていたんです。
帰ってみると蘇固は死んでいました。
激怒して、剣を握るとたった一人で張脩の陣へ行き大いに暴れます。
もうちょっとで張脩を討ち取る所だったといいますから相当の腕です。
しかし、結局傷を受け、死んでしまいます。


一方、策を受け入れられなかった陳調ですが、蘇固の死を聞くと、食客数百人を率いて、張脩の陣に攻め込みます。
そしてなんと張脩を破り、そのまま張脩の本営まで進攻したのです。
ただ、こちらも傷を受け死んでしまいます。
まるで大坂夏の陣真田幸村のようです。


ちなみに趙嵩の妻、張礼脩は賢妻として有名です。
姑(趙嵩の母)は酷悪無道で、張礼脩の扱いには礼を失していたようです。
嫁いびりが趣味だったんでしょう。きっと。


しかし、張礼脩は恨みの表情を見せることはありませんでした。
実家の父母から話を聞かれても、全ての咎を引き受けて、姑を悪く言いません。
実家ですら愚痴をこぼさないなんて本当に立派です。


そんな張礼脩に接しているうちになんと姑は改心して張礼脩を慈愛するようになります。
このことは郷の人々の間でも話題になり、“婦師(婦人の模範)”であるといわれました。
その姑は亡くなる時、見舞いに来た実の娘をしりぞけて、「私は賢婦(張礼脩のこと)の手中で死ぬのだ」と言ったそうです。


張脩らによって趙嵩が死ぬと、顔を青く塗り、髪を乱し、懐刀して、病気であると偽ったため、賊は近寄らなかったといいます。
遺された娘を育て、叔父のもとで義を全うして一生を終えました。


あんまり触れられることのない張魯前の漢中だけど様々なドラマがあるのです。