雲子春秋

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桓範その2

曹爽の腹心として知られる桓範であるが、何晏等ほど曹爽に肩入れしていたようには思わない。

三国志』巻十三王朗伝附王粛伝
時大將軍曹爽專權,任用何晏、鄧颺等.肅與太尉蔣濟、司農桓範論及時政,肅正色曰:「此輩即弘恭、石顯之屬,復稱說邪!」

王粛が当時権勢のあった何晏らを批判したことがある。
それは王粛が桓範、蒋済とともに時政を論じている時のことであった。
桓範が曹爽派であると見なされていたら、そのような発言をするであろうか。


三国志』巻九曹真伝附曹爽伝注引『魏略』
于時曹爽輔政,以範鄉里老宿,於九卿中特敬之,然不甚親也.及宣王起兵,閉城門,以範為曉事,乃指召之,欲使領中領軍.範欲應召,而其子諫之,以車駕在外,不如南出.

また、曹爽は郷里の老宿として敬ったが親しくはしなかった。


さらに、司馬懿がクーデターを起こした正始の政変の際には、司馬懿は彼を中領軍としようとしていた。
桓範が曹爽に従ったのは、息子に皇帝が外にいるんだからそっちにいくべきだと言われたからであり、当初は司馬懿につこうとしていたのである。


このように、桓範はとくに曹爽に忠義であったわけでもないし、周りの人は―司馬懿ですら―曹爽の腹心として見ていなかったように思われる。