徹侯と列侯
人から聞いた話。
「列侯」という爵位があり、もともとは「徹侯」といった。
徹侯は
『史記』巻五「秦本紀」注引『集解漢書』
商君為法於秦,戰斬一首賜爵一級,欲為官者五十石.其爵名:一為公士,二上造,三簪褭,四不更,五大夫,六官大夫,七公大夫,八公乘,九五大夫,十左庶長,十一右庶長,十二左更,十三中更,十四右更,十五少上造,十六大上造,十七駟車庶長,十八大庶長,十九關內侯,二十徹侯.
とあり、秦代からあるものだ。
徹侯は前漢武帝の諱を避けて通侯となり、そしてさらに列侯となったという。
しかし、ある考古発見によってその通説は揺らいでいるそうだ。
「里耶秦簡」である。
里耶秦簡は2002年に湖南省で発掘された竹簡群であり、年代は紀元前222年から紀元前208年、その名の通り秦代のものである。
そしてその中にこのような文があったのだ。
徹侯為列侯*1
これによって秦代から既に「徹侯」は「列侯」と言われていたことがわかったのである。
『史記』には「徹侯」という表現は見られず、武帝以前の記事に関しても「列侯」とされている。
これは武帝の諱を避けたものと言われていたが、実際は、武帝以前から既に「列侯」が使われていたのかも知れない。
研究が待たれるところだ。