ちょっとまえにつぶやいたが、私は恥ずかしながら劉備の故郷の楼桑村が『三国演義』あるいはそれに先行するなんらかの三国志物語の創作であると認識していた。
ところがどっこいすっとこどっこい『水経注』にそれはあった。
『水経注』巻十二、巨馬河
又東逕涿縣酈亭樓桑里南,即劉備之舊里也。
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涿県の酈亭という所には楼桑里という所があって、劉備の故郷であるという。
楼桑里、すなわち楼桑村は存在したのだ!!
『水経注』は前漢〜魏くらいに書かれたという成立年代が不明確な『水経』という書物に、北魏の酈道元という人が注釈したものである。
北魏頃には、劉備の故郷が楼桑里であったと伝えられていた。
『演義』などの創作だと思ってることも案外どこかに典拠があったりするのね。
梅林の話も『世説新語』にある話だし