雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

褒斜道を通した男

次の文は褒斜道の崖に彫られていたものだという。

『金石萃編』巻二十四、李苞通閣道題名
潘宗伯韓仲元以泰○【始】六年五月十日造此石○【木へん】○【女へん】
景元四年十二月十日盪寇将軍浮亭侯譙国李苞字孝章将中軍兵石木工二千人始通此閣道

潘宗伯&韓仲元が泰始六年五月十日にこの石を造りうんたら。
景元四年(263年)十二月十日、盪寇将軍・浮亭侯・譙国の李苞、字は孝章が中軍の兵士と石工&木工を二千人率いてはじめてここに閣道を通した。


閣道とは桟道のこと。
崖の側面に張り出した橋のような道。
蜀の桟道ってのが有名だね。
この褒斜道もそんな蜀の桟道の一つ。
褒斜道は漢代にすでにあったし、諸葛亮の北伐でも利用されていた気がするので「はじめて」というのがよくわからないが、北伐以降263年までの間に誰かが焼いたり、壊れたりしてたか、あるいは、場所を少し変えたところにつくったということなのかもしれない。


蜀の滅亡が263年なので蜀討伐の戦いのためにつくったのかと思ったが、十二月はもう滅亡した後だし、ようわからん。
盪寇将軍というと張遼とか張郃といった大物がなってたがこの李苞は残念ながら記録に恵まれなかったね(ションボリ


そういえば許褚の子がこの年に桟道を手抜き工事したために鍾会に殺されてたなあ。


ちなみにこの褒斜道の崖には「漢魏十三品」という漢から魏にかけての石刻が十三点あり、今回取り上げた李苞通閣道題名はその十品、曹操の筆によるものとして有名な「袞雪」もここにあり、九品だ。(一品が一番上)
漢中の博物館で展示してあるらしい。