雲子春秋

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劉焉の監軍使者と州牧について

前回の記事で述べた「刺史と牧にはそのランクの違いしかなかったのではないか」をちょっと補足してみる。


だいぶ昔にも書いたが、後漢代、刺史が軍事を行う場合、御史中丞が刺史や太守及び州郡の兵を「督」していた。
http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110626/1309053749


御史中丞とは「非法を挙げる」官職、すなわち監察官である。
すなわち、刺史の軍事においては刺史単独ではなく、必ず中央から御史中丞(それに類する侍御史など)が派遣され、軍事の監察をしたのである。
そしておそらく劉焉の任じられた監軍使者というのはその御史中丞と同様の役割を果たすものなのであろう。
当時の益州は中平元年からの馬相の乱で数郡にわたって荒れており、刺史が軍事行動を行うべき状況下にあった。
さらに劉焉はその監軍だけでなく、州の長官である州牧を兼ねた。
州刺史は州将とも呼ばれていたようであり、*1指揮官的性格があるのかもしれない。


刺史の軍事における軍組織をわかりやすくいうと、
軍全体を統括する将軍にあたるのが刺史で、その下の部を率いる校尉にあたるのが郡太守、そして、軍の目付である監軍にあたるのが御史中丞ということなのであろう。


思うに州牧自体は州刺史と役割は変わらない。
この劉焉の「監軍使者領益州牧」というのが画期的なのは、それまで分けられていた、軍の監察を行う御史中丞などの「監軍」と、州郡の兵を率いる「州将(州刺史・州牧)」の両者を兼ねたことである。


州牧は太守よりランクの低かった刺史と違って、太守よりもランクが高いので、民政的にはバシバシ太守を取り締まりやすいだろうし、監軍使者を兼ねているので、軍事的にもしっかり監察できる。
この両者を兼ねたことこそ、劉焉の勢力の淵源なのではないだろうか。


余談だが、豫州牧黄琬が下軍校尉鮑鴻を弾劾していたが、当時は汝南に賊が発生しており、黄琬も監軍使者のような役職に任じられていた可能性がある。そのために軍人をも弾劾できたのかもしれない。


追記)石井仁先生は『漢末州牧考』(秋大史学 38, 1-28, 1992-03)で「某州牧=某州刺史+督当該州軍事」とされているが、私はランクの違いはあれど、役割的には州牧=州刺史であると考えているので若干結論が違う。何度も繰り返すが州牧であることよりも「監軍使者」も兼ねたことが重要だと思っている。

*1:後漢書』張奐伝に、司隷校尉(首都圏司隷部の刺史のようなもの)の段熲を「州将」と呼んでいる。