雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

劉焉は州牧を置けと言ったのか?

州の長官には州刺史と州牧の二種類あり、州牧のほうが州刺史より権限が強かった。
官位のランクである秩石も、州刺史が六百石、州牧が二千石と州牧の方が高かった。
前漢末に州刺史は州牧となったが、後漢では基本的に州刺史であった。
後漢末に州牧は復活を遂げるのだが、その州牧復活の献言と言われる劉焉の発言。

三国志』巻三十一、劉焉伝
刺史・太守、貨賂して官と為り、百姓を割剝し、以て離叛を致す。清名重臣を選びて以て牧伯と為し、方夏を鎮安すべし。

訳:
刺史・太守は、賄賂によって官となり、民衆から収奪し、離反を呼んでいる。清名のある重臣を選んで牧伯とし、全土を安定させるべきだ

この「牧伯」という言葉の「牧」という字につられて、また、その後すぐに劉焉が益州牧になっていることもあって、ついつい劉焉が「州牧」を置くように進言したと解釈しがちである。


だがちょっと待って欲しい。
「牧伯」とは「州の長官」という意味であり、州刺史・州牧どちらも含むのである。
実際に『漢書』では次のようにある。

漢書』巻三十八、朱博伝
今部刺史居牧伯之位(略)

今、部刺史が牧伯の位に居り云々

部刺史は州刺史の正式名称であり、ここでは州刺史を牧伯と言っている。


最初にあげた劉焉の進言、これは「牧伯とせよ」という所を重視して「牧」設置を提案してると思いがちだが、実は劉焉が言いたかったのはそこではなく「清名のある重臣を選んで」という所であったのだろう。


とはいえ、これが牧設置の献言であることには変わりない。
というのも、最初に述べた刺史の六百石というランクは、そんなに高くない。
後漢の昇進過程の一例としては
三公府の属吏→侍御史→刺史→太守→九卿→三公
というような感じで、州の長官である刺史は郡の長官である太守より低いランクであり、昇進のわりと早い段階で就く官職なのだ。


余談だが、史書だと太守があまりにたくさん出てくるのでたいしたことない役職と思いがちかも知れないけど、太守のランクは二千石、実は超高位。
この太守の二千石より上のランクには
総理大臣クラス、三公の万石。
国務大臣クラス、九卿の中二千石
の二ランクしかない*1


閑話休題
さて、この劉焉の献言により選ばれた人物は、劉焉・黄琬・劉虞である。
劉焉は太常、黄琬は太僕、劉虞は宗正であった。皆国務大臣クラスの九卿からの選出である。
三国志』劉焉伝注引『続漢書』に「各おの本秩を以て任に居る」とあり、そのもともとのランク、つまり皆九卿なので中二千石のランクで任地に赴いたという。
その際に、低ランクの州刺史ではなく、ランクの高い州長官を表す官職として「州牧」がちょうどよかったのだろう。


州刺史と州牧の権限の違いについては今回はふれないが、そもそも刺史や牧の主な仕事は、管轄郡の太守・国相の汚職の摘発である。
ランクの低い刺史が、自分よりランクの太守を弾劾するよりも、ランクの高い州牧が、自分よりランクの低い太守を弾劾する方が明らかに楽である。


劉焉の進言では、冒頭で「刺史・太守が賄賂をもらって云々」と太守の汚職も触れているが、太守に関してはその後特に何も言っていない。
「清名のある重臣を選んで」牧伯とすることで、太守の汚職も摘発できるということなのだろう。


とまあ、だらだらとまとまらない文章を書いてきたが、まとめると、
1.劉焉の進言は州牧を置けと言ったのではなく、清名ある重臣を選んで州の長官として、バシバシ太守の汚職を摘発せよ、ということが言いたかった。
2.これが州牧設置の献言といわれるのは、すでに高位の重臣を州長官とするにあたって、州刺史ではランクが低かったのでより高位の州長官である州牧というものを使わざるを得なかった。


独り言。
実は州牧と州刺史に権限の違いはなく、ただランクの違いがあるだけだったのかもしれんね。
州牧は兵権をもってたとかいうけど、後漢で刺史が管轄郡の太守率いて戦ってる例もあるし、実は牧と刺史にあんまり違いがみられん。
同じ権限でも、誰が、どんな人が、なるかによって、その役職が違うものに見えることもあるし。
実際、豫州牧になった黄琬はバシバシ摘発しまくってるはいるけど、別に刺史とやること変わってないし。
劉焉は益州牧とともに、監軍使者という官職を領している。こういう牧以外に付加された官職のほうが違いを生み出した可能性だってある。
むかしこんな記事書いといて言うのも難だけど無批判に刺史と牧は権限に違いがあったという言説を受け入れるのもよくないのかもしれない。自分でも検証してみたい。

*1:前漢だと中二千石と二千石の間に真二千石というのがあるが、後漢ではちょっとようわからんので無視。