雲子春秋

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杜預と橋

『水経注疏』巻五 河水五
尚書』所謂東至于孟津者也。又曰富平津、『晉陽秋』曰:杜預造河橋于富平津、所謂造舟為梁也。又謂之曰陶河、魏尚書僕射杜畿以帝幸許、試樓船、覆于陶河、謂此也。

孟津は別名富平津といった。晋の時代に杜預は橋をかけた。
『晋書』巻三十四、杜預伝を見ると、橋をかけることへの反対意見が強い中での施工であったようだ。
なぜ、杜預は橋をかけることに対して情熱を注いだのだろう。


次のことが関係しているのではないかと私雲子は思う。
富平津はまた、陶河といった。
魏の尚書僕射杜畿は陶河で船の試走中に転覆事故で死んだ。


董襲とともに水死の表に名を連ねる杜畿、杜預の祖父である。
杜畿はまさにここでの転覆事故で命を落としたのだ。
祖父の死が杜預の架橋への情熱の源泉となっていたのかもしれない。