雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

エドガー・アラン・ポーと捜神記

黄泉がえり―雲子春秋
ここで昔取り上げた『捜神記』からの女の再生誕。

『太平広記』巻三百七十五 再生一 引く『捜神記』
武帝時,河間有男女相絓,許相配適。而男從軍,積年不歸。女家更以適人。女不願行,父母逼之而去。尋病死。其夫戍還,問女所在。其家具説之。乃至冢,欲哭之敘哀,而不勝情。遂發冢開棺,女即蘇活。因負還家,將養平復。後夫聞,乃詣官爭之。郡縣不能決,以讞廷尉。奏以精誠之至,感於天地,故死而更生。是非常事,不得以常理斷,請還開棺者。

簡単なあらすじはこうである。


仲むつまじい夫婦がいたが、男が従軍しなかなか帰ってこなかった。
女は実家に無理矢理再婚させられ死んだ。
死んだと思われていた男があるとき帰ってきて事情を知る。
女の墓の前で泣き、情に堪えず墓を掘り返すと女が生き返った。
女の蘇りを知った後の夫との間で女の帰属をめぐる裁判になった。


というものだ。


さて、『モルグ街殺人事件』で知られるエドガー・アラン・ポーの著書に『早すぎた埋葬』*1がある。
以下にその一部を引用するが長いのでまじめに読まなくてもいい。さらに下にあらすじを載せるので。

エドガー・アラン・ポー著、佐々木直次郎訳『早すぎる埋葬』(青空文庫)*2
一八一〇年に生きながらの埋葬という事件がフランスで起ったが、その詳しい事情は、事実は真に小説よりも奇なり、というあの断言を保証するに役立つものである。この話の女主人公(ヒロイン)は有名な家の、富裕な、またたいへん美しい容姿を持った若い娘、ヴィクトリーヌ・ラフルカード嬢であった。彼女の多くの求婚者のなかにパリの貧しい文士か雑誌記者のジュリアン・ボシュエがいた。彼の才能と人好きのする性質とは彼女の注意をひき、また実際に彼は愛されていたようにも思われた。だが彼女の家柄にたいする矜持(きょうじ)はとうとう彼女に彼をすてさせて、かなり有名な銀行家で外交官であるルネル氏という男と結婚することを決心させたのであった。しかし結婚後、この紳士は彼女を顧みず、そのうえ明らかに虐待さえしたらしい。彼とともに不幸な数年を過したのち、彼女は死んだ、――少なくとも彼女の状態はそれを見たすべての人々を欺くくらい死によく似ていた。彼女は埋葬された、――墓舎のなかではなく――彼女の生れた村の普通の墓に。絶望に満たされ、しかもなお深い愛慕の追憶に燃え立ちながらボシュエは、死体を墓から発掘してその豊かな髪の毛を手に入れようというロマンティックな望みをもって、都からはるばるその村のある遠い地方まで旅をした。彼は墓にたどりついた。真夜中に棺を掘り出し、それを開いて、まさに髪の毛を切ろうとしているときに、恋人の眼が開いたのに気づいた。実際夫人は生きながら葬られていたのであった。生気がまったくなくなっていたのではなかった。そして彼女は愛人の抱擁によって、死とまちがえられた昏睡(こんすい)状態から呼び覚まされたのである。彼は狂気のようになって村の自分の宿へまで彼女を背負って帰った。それからかなりの医学上の知識から思いついたある効き目のある気付け薬を用いた。とうとう彼女は生き返った。彼女は自分を救ってくれた者が誰であるかを知った。少しずつもとの健康をすっかり回復するまで彼と一緒にいた。彼女の女心も金剛石のように堅くはなく、今度の愛の教訓はその心をやわらげるに十分であった。彼女はその心をボシュエに与えた。そしてもう夫のもとへは戻らずに、生き返ったことを隠して愛人とともに、アメリカへ逃げた。二十年ののち二人は、歳月が夫人の姿をたいそう変えてしまったので、もう彼女の友人でも気づくことはあるまいと信じてフランスへ帰った。しかしこれはまちがっていた。というのはひと目見るとルネル氏は意外にも彼女を認めて彼の妻となることを要求したからである。この要求を彼女は拒絶した。そして法廷も彼女の拒絶を支持して、その特殊の事情は、こうした長い年月の経過とともに、正義上ばかりでなく法律上でも夫としての権利を消滅させたものである、と判決を下したのであった。

ここではフランスで1810年に起こったこととして、先述した『捜神記』の話とほぼ同じプロットのエピソードが書かれている。
ヴィクトリーヌという令嬢は家柄のために、ボシュエという雑誌記者を捨て、ルネルという男と結婚した。
ヴィクトリーヌはルネルの虐待により死んでしまう。
ボシュエはヴィクトリーヌの墓を掘り返したところ彼女は生き返った。
その後二人はルネルに気付かれぬようアメリカへ一度逃げ、二十年後にフランスへ戻る。
しかし、ルネルはヴィクトリーヌに気づき、裁判で妻を取り返そうとした。
裁判ではヴィクトリーヌが勝ち、ルネルの訴えは認められなかった。


裁判をするところまで『捜神記』と一緒である。
本当にフランスでこの事件は起きたのか。
それともポーの創作なのか。
フランスは中国趣味が流行ったことがあるので、そのときに捜神記のこのエピソードが知られ、後人がフランスを舞台に物語を作り直したのかもしれない。
あるいはどこかからこの『捜神記』プロットを知ったポーがフランスを舞台に作り替えた可能性もある。
まあありがちなプロットだからたまたまかぶったっていう単純なはなしだったりして。


1810年のフランスの新聞とか読めれば何かわかるかもしれないけどフランス語読めないので誰かタスケテください><

*1:千年パズルとは関係ないよ!

*2:一般に『早すぎた埋葬』として知られるが佐々木直次郎訳では『早すぎる埋葬』となっている。