是氏
『三国志』に伝もあるのにあまり有名ではない人、是儀(しぎ)。
呉人気の高まりにより、知名度もあがり、そろそろ次の光栄三国志シリーズには登場するのではないかともっぱらの噂である。[要出典]
〜閑話休題〜
この「是」という名字、滅多に見かけない。
その由来は『三国志』に次のようにある。
『三国志』巻六十二 是儀伝
是儀字子羽,北海營陵人也。本姓氏,初為縣吏,後仕郡。郡相孔融嘲儀,言氏字民無上,可改為是,乃遂改焉。
彼の出身は北海郡営陵。元の姓は「氏」といった。
郡の役所に仕えた時、北海相の孔融から「“氏”って字は“民”の上がないんだぜwwwまじ不吉www」と嘲笑われたために、姓を改めて「是」としたという。
「是」という姓は彼に始まったのだ!!!!
さて、ここからが本題。
こいつを見てほしい。
『隷続』巻十六 北海相景君碑陰(一部抜粋)
(略)
故脩行營陵是盛字護宗
(略)
故干營陵是遷字世達
この碑は漢安二年(143)にたてられたものである。
その中に是盛・是遷と二人も「是」姓の人物が見える。
しかも是儀と同じ北海営陵の人。同族であろう。
別にこの姓は是儀にはじまったわけではないのだ。
この改姓エピソード、実は孔融のネガキャンの為に作られた捏造なんじゃないだろうか……。
ちなみにこの話、注ではなく、陳寿の本文にある。
孔融ならやりかねん、と陳寿は判断したのだろう。