雲子春秋

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劉焉の益州支配そのさん〜劉焉と賈龍最後の戦い〜

劉焉シリーズ最終回。
支配確立に向け着々と準備を進めてきた劉焉。
ついに豪族との全面対決に。

豪族殺害

州内の豪族、王咸・李権等十人余りを殺害する。
また、時期は不明だがこのような話がある。


益州刺史郤倹が殺された時、彼に従っていた部下(従事)に燕邠・董馥・張胤という三人がいた。
このうち、燕邠のみ主君郤倹に殉じて死んだ。
劉焉は燕邠をたたえた一方で董馥・張胤を殺害した。


州の従事になるほどであるから董馥・張胤ともに益州の豪族であろう。
皇帝でもない刺史ごときに殉じなかったことで誅殺されるとかわけがわからないよ。
これはこの豪族弾圧と関係しているのではないだろうか。


おそらく、殺された十人余りの豪族はこのような些細な罪(罪ですらないかも)を取り上げられて殺されたと思われる。
こういった豪族弾圧によって遂に反乱が発生する。
その反乱の前に少し賈龍について。

賈龍の勢

賈龍は前々回説明したように益州の豪族で、劉焉の入蜀に大功があった。
彼は校尉となっていたらしい。
さて、ここで後漢の武官について簡単に見てみよう。

『続漢書』百官志 将軍
其領軍皆有部曲。大將軍營五部,部校尉一人,比二千石;軍司馬一人,比千石。部下有曲,曲有軍候一人,比六百石。曲下有屯,屯長一人,比二百石。其不置校尉部,但軍司馬一人。又有軍假司馬、假候,皆為副貳。其別營領屬為別部司馬,其兵多少各隨時宜。門有門候。其餘將軍,置以征伐,無員職,亦有部曲、司馬、軍候以領兵。其職吏部集各一人,總知營事。兵曹掾史主兵事器械。稟假掾史主稟假禁司。又置外刺、刺姦,主罪法。

将軍が統率する兵は部や曲という単位に分けられていた。大将軍の場合は五部あった。
そして、その部を統率するのが校尉、軍司馬である。
校尉のランクは比二千石、軍司馬のランクは比千石、校尉の方が上級であった。
なお、規模の小さい場合、校尉が置かれず司馬が部を統率したという。


いろいろ書いたが、ここで注目すべきは「校尉>司馬」
前回取り上げた張脩は別部“司馬”張魯は督義“司馬”、『華陽国志』に、劉焉が王咸らを殺害した後に前部・後部・左部・右部“司馬”を置いたとある。
おそらく、兵力規模はどれも小さかったのであろう。
“司馬”であり、校尉など一人もいないのだ。この賈龍を除いては。
つまり、賈龍こそが劉焉軍閥の軍事のトップであった。

任岐・賈龍の乱

初平二年(191)、豪族の不満が爆発する。
校尉賈龍と犍為太守任岐が成都城下を焼いた。
※『英雄記』では任岐の反乱が起きると、董卓が趙謙*1を派遣、反乱の鎮圧に当たっていた賈龍を説得し反転させたという。


劉焉はこの乱を、東州兵、青羌(異民族)の力で鎮圧する。
遂に劉焉と豪族の立場は逆転する。
この反乱は劉焉がわざと起こさせたものなんじゃないかとの疑念は払拭できない。
豪族大量殺害とか反乱してくれと言っているようなものだ。


こうして劉焉は益州支配を確立する。
その後馬騰と協力して李傕を討とうとするなど、意識が長安方面に向いていることなどから益州に憂いはなくなっているように見える。
まあその計画は失敗して息子処刑されて病気であぼんだけど。

今後の課題

豪族と言っても一枚岩ではないし派閥などもいろいろあるだろう。
その豪族内のいろいろも後には考えたい。
劉焉死後の益州支配の状態なども考察していきたい。
益州出身者の法正・孟達が不満を持っていることから、豪族が力を取り戻しているような気がする。

_____.      劉焉 と 賈龍
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*1:『英雄記』本文では司徒とあるが、彼が司徒になったのは董卓死後である。