曹丕の子贊哀王
曹丕は于禁土下座図事件や曹洪借財拒否騒動、曹植冷遇など酷いことをよくやっている。
そんな曹丕の子に贊哀王と諡された人物がいる。
贊哀王の生没年は不明だが、早逝したらしい。
太和五年(231年)に追封されているためその頃亡くなったのであろう。
青龍三年(235年)に子の曹尋が後を継いだ。
贊哀王の名は「協」という。
後漢最後の皇帝である献帝の名と同じである。
つまり、献帝の諱を犯しているのだ。
彼は220年に生まれたのではなかろうか。
献帝在位中は「協」と名付けることは出来ないため、献帝を退位させて後漢を滅ぼした220年に生まれた彼に、後漢滅亡記念として「協」の名を付けたのかもしれない。
もしそうならば明らかに献帝への侮辱である。
曹丕ならやりかねない気がする・・・