雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

後漢書の元ネタ

楊彪袁術の縁戚だったために曹操に獄に下され、孔融によって救われた話。
范曄の後漢書にある話である。

後漢書』列伝第四十四 楊震伝附楊彪
袁術僭亂,操託彪與術婚姻,誣以 欲圖廢置,奏收下獄,劾以大逆。將作大匠孔融聞之,不及朝服,往見操曰:「楊公四世 清德,海內所瞻。周書父子兄弟罪不相及,況以袁氏歸罪楊公。易稱『積善餘慶』,徒欺 人耳。」操曰:「此國家之意。」融曰:「假使成王殺邵公,周公可得言不知邪?今天下纓 緌搢紳所以瞻仰明公者,以公聰明仁智,輔相漢朝,舉直厝枉,致之雍熙也。今膻殺 無辜,則海內觀聽,誰不解體!孔融魯國男子,明日便當拂衣而去,不復朝矣。」操 不得已,遂理出彪。


さて、次の文と上の文を見比べてみてほしい。

『太平御覧』人事部六十九 正直下 所引『孔融別伝』
袁術僣亂,曹操楊彪與術婚姻,誣以欲圖廢置,奏收下獄,劾以大逆。融聞之,不及朝服往見操曰:「楊公四世清德,海內所瞻,《周書》父子兄弟,罪不相及,況以袁氏歸罪!《易》稱積善餘慶,徒欺人耳?」操曰:「此國家之意。」融曰:「假使成王殺邵公,周公可得言不知耶?纓綏縉紳所以瞻仰明公者,以公聰明仁知,輔相漢朝,舉直措枉,致之雍熙。今膻殺無辜,則海內觀聽莫不解體。孔融魯國男子便當拂衣而去。」操不得已,遂理出彪。

これは太平御覧に引く孔融別伝だが、ほとんど同じ文である。
現代なら剽窃で退学になってもおかしくないレベルである。

劉表の知られざる功績

芸文類聚』巻五十九 武部 戦伐 所引、王粲『三輔論』
湘潛先生,江濱逸老,將集論雲夢,玄公豫焉。先生稱曰:蓋聞戎不可動,兵不可揚,今劉牧建紱垂芳,名烈既彰矣。曷乃稱兵舉眾,殘我●零。逸老曰:是何言與,天生五材,金作明威,長沙不軌,敢作亂違,我牧睹其然,乃赫爾發憤,且上征下戰,去暴舉順,州牧之兵,建拂天之旌,鳴振地之鼓,玄冑曜日,犀甲如堵,以此眾戰,孰能嬰御,劉牧之懿,子又未聞乎。履道懷智,休跡顯光,洒掃群虜,艾撥穢荒,走袁術於西境,馘射貢乎武當,遏孫堅於漢南,追楊定于析商。

芸文類聚』に引かれた王粲の『三輔論』の中に劉表の武功について書かれており、
袁術を西境に敗走させ、射貢を武当にて首切り、孫堅を漢南に押しとどめ、楊定を析商に追う」とある。
袁術孫堅との戦いは三国志にもあるが、射貢、楊定との戦いについては、管見の限り見つからない。


そもそも射貢って誰?
武当は南陽郡であり、南陽謝氏はそれなりに勢力があるため、射貢ではなく謝貢の可能性もある。
あるいは、扶風の射堅、射援兄弟が三輔の乱を避け、益州に逃れた話が『三国志』先主伝注にあるが、射貢はその一族*1で、当初荊州に逃れようとしたが、劉表に拒まれ死亡し、射堅と射援が益州入りしたという可能性もあるかもしれない。


また楊定は段煨との対立のあと荊州に逃れ、その後の記述はなかったが、劉表に阻まれたということになる。
南陽郡に析、商という地名があり、そこのことだろうか。


簡単な記述しかなく、詳しいことはよくわからないが、マイナー武将好きとしては楊定のその後について少し情報が得られたのは収穫であった。
何かさらなる情報があれば教えてください。

*1:父親とか

朱霊城

『太平御覧』人事部三十六「浴」所引、丘淵之『征斉道理記』
朱靈城東,有管寧舊宅。宅前有水,是寧常所澡浴處。

『征斉道理記』によると朱霊城の東に管寧の家があり、管寧は家の前の水場でいつも体を洗っていたという。
ここに出てくる朱霊城、どこにあったのかよくわからないが、管寧の出身は北海郡朱虚県であるためそのあたりにあったのだろう。
朱虚城の誤りの可能性もあるかもしれない。


あえて誤りとしないのであれば、朱霊は北海郡と同じ青州にある高唐の侯に自ら望んでなっているため、青州になんらかの縁があって朱霊城を建てていたか、後代に朱霊にちなんで名づけられた城があった可能性もある。

都落ち

このところ普通の日記ブログと化していましたが、本日、無事に都落ちしたので明日からは通常営業の予定です。
都は様々な文化的刺激があって素晴らしいですな。
改めて都という存在の大きさを実感し、長安開封など諸王朝の都に想いを馳せることができました(謎

兵馬俑展見てきた

昨日、東京国立博物館で催されている始皇帝と大兵馬俑を見てきた。
兵馬俑だけでなく当時の武器や日用品などの道具類の実物が見られ、史書を読むときにより一層イメージしやすくなったと思う。


また始皇帝陵造営労働者の墓誌の分析により判明した、土器や兵馬俑作製の陶工は旧秦国内、陵の造営そのものの作業員は秦以外の国の旧領から集められているという話が興味深かった。


ぜひみなさん行ってみてください。


ガルパンの映画も面白かったです(関係ない

タイムリープ

この記事は2015/11/22, 22:51に書かれたものです。

21日に書き忘れて嘆いていたところ、とある鳥さんからツイッタータイムリープを使うよう啓示を与えられたので、試してみた。


案外簡単にタイムリープできるんやね!
今後もたまに使おう!