雲子春秋

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官僚の給与カット?

『続漢書』志第二十八、百官志五、百官奉
百官受奉例:大將軍、三公奉,月三百五十斛。中二千石奉,月百八十斛。二千石奉,月百二十斛。比二千石奉,月百斛。千石奉,月八十斛。六百石奉,月七十斛。比六百石奉,月五十斛。四百石奉,月四十五斛。比四百石奉,月四十斛。三百石奉,月四十斛。 比三百石奉,月三十七斛。二百石奉,月三十斛。比二百石奉,月二十七斛。一百石奉,月十六斛。斗食奉,月十一斛。佐史奉,月八斛。凡諸受奉,皆半錢半穀。

『続漢書』には官吏の給与の例がのっている。上は建武二十六年(50)四月の受給例である。
斛は穀物の単位、後漢代だとだいたい19.8リットルである。
ただし支給はすべて穀物ではなく半銭半穀、半分は銭、半分は穀物であったという。
例えば三公は月350斛なので175斛の穀物と175斛分の銭が支払われた。
表にしてみるとこんな感じ、ただし銭は当時の穀物物価がわからないのでただ総額の半分を書いただけ><

秩石:官位ランク 給与総額(斛) 銭(斛) 穀(斛)
大将軍・三公 350 175 175
中二千石 180 90 90
二千石 120 60 60
比二千石 100 50 50
千石 80 40 40
六百石 70 35 35
比六百石 50 25 25
四百石 45 22.5 22.5
比四百石 40 20 20
三百石 40 20 20
比三百石 37 18.5 18.5
二百石 30 15 15
比二百石 27 13.5 13.5
一百石 16 8 8
斗食 11 5.5 5.5
佐史 8 4 4


また『続漢書』の注には別の時期の給与例が載っている。

『続漢書』志第二十八、百官志五、百官奉注引『晉百官表注』
漢延平中,中二千石奉錢九千,米七十二斛。真二千石月錢六千五百,米三十六斛。比二千石月錢五千,米三十四斛。一千石月錢四千,米三十斛。六百石月錢三千五百,米二十一斛。四百石月錢二千五百,米十五斛。三百石月錢二千,米十二斛。二百石月錢一千,米九斛。百石月錢八百,米四斛八斗。

これは漢の延平年間(106)*1のものである。これを表にしてみると(給与総額は穀を倍したもの)

秩石:官位ランク 給与総額(斛) 銭(銭) 穀(斛)
中二千石 144 9000 72
真二千石 72 6500 36
比二千石 68 5000 34
一千石 60 4000 30
六百石 42 3500 21
四百石 30 2500 15
三百石 24 2000 12
二百石 18 1000 9
百石 9.6 800 4.8


建武二十六年から延平の50年の間に制度の変化もあって後漢初にあって延平にない官位のランクもあるので単純比較はできないが、千石の総額を比べると80から60に、六百石は70から42に軒並み下がっている。
後漢においても官僚の給与カットがすすんでいたのだ。
この給与カットの結果、金を得るための汚職が横行し、官僚たちのモチベーションはさがり、良才は集まらず、後漢は衰退していったのかもしれない(適当)
官僚にしっかり給料をだそう(提案)


ただし、この話は、半銭半穀がは銭:穀=1:1であると仮定したものである。
宇都宮先生は半銭半穀とは銭:穀=1:1ではなく7:3であったとしている。*2


というわけでいつものように聞き流してください。

*1:延平は一年だけ

*2:宇都宮清吉『續漢志百官受奉例考』(東洋史研究五巻四号、1940)