霊帝再評価その0
王安石、田沼意次・・・etc、昔から悪役であり、貶められ続けてきた人々がいる。*1
彼らは混乱や腐敗の原因とされたが、最近になって再考され、再評価をうけている。
私も好きな政治家ベスト3に王安石と田沼意次をいれている。
後漢の霊帝というと暗愚、宦官の言いなり、無能・・・みたいなイメージがつきまとっている。
しかし彼にもまた再評価の動きがある。*2
このブログでもそのビッグウェーブにのろうと思う。
というわけで、数回に分けてブログ記事数を稼いでいきたい。霊帝の実体を見つめ直していきたい。
キーワードは皇帝集権。
西園八校尉、鴻都門学、牧伯制を主に取り上げていく予定。
とりあえず今回は簡単に霊帝について思うことをだらだらのべる。
霊帝は好奇心旺盛な性格で、商人のまねごとをしたというのもそのあらわれではないだろうか。
市井のことに興味を持つのはそんなに批判されるべき事だろうか?
さらに学問を好んで熹平石経という儒学の経典を刻んだ石をたてたりもしている。
意外と名君の素質があったのではないかと個人的には思っている。
宦官に従って清流派を弾圧したとか批判するけど、清流派ってみんなの嫌いな世襲じみたところがある既得権益層。
自分たちで集団をつくったり太学生をあおって集団行動させたりけっこうあぶない抵抗勢力
霊帝はそもそも、嫡流じゃないから後ろ盾が弱い。
後ろ盾のない霊帝が大きな力をもった既得権益層に対抗するには、新興勢力の力を借りる必要がある。
その新興勢力としての宦官であった。
政治をすすめるには桓帝期から続く、宦官VS清流派党人の争いを終わらせ、皇帝が権力を握る必要を感じたのだろう。
気候の寒冷化による農作物の不作。
作物の不作から異民族も侵入をくりかえすようになる。
黄巾の乱の前年には大寒もおきている。
こういった気候的なめんでも霊帝にはどうしようもない部分もあったんじゃないだろうか。
その中でも精一杯がんばったと思うよ。
脈絡もなくただだらだら書いただけになってしまった。
まあ次回からはもうちょっとわかりやすいようにがんばるよ。