雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

夏侯惇

最近、夏侯惇は戦争すれば負けばかり、さらに敵の捕虜になったり*1と能力に問題があったように言われている。
しかし、曹操に大変重用されている。それがなぜか少し考えてみた。


考えられることとして夏侯惇夏侯氏の宗主的立場にあった可能性がある。*2


曹操が挙兵したとき、曹仁曹操とは別に兵を集めていたようであるから、曹氏のトップが曹操になるとは限らなかった。
しかし、夏侯惇曹操に従うことで、曹操夏侯氏一族という後ろ盾を手に入れた。


夏侯氏のトップであった夏侯惇が従ったわけであるから、曹操夏侯氏のトップとなったともいえる。
更にそれだけでなく、直接的血縁関係はなくとも近い関係にあった曹仁曹洪といった曹氏*3にも影響力を持つ事が出来るようになった。←この辺がまだ無理矢理過ぎる気がする。


曹操が曹氏夏侯氏両一族のトップとなり得たのは夏侯惇が従ったことにあった。
ある意味孫権にとっての張昭や周瑜に近い立場にあったともいえる。*4


そう考えると、曹操夏侯惇を重んじたことに納得がいく気がする。


↓前に書いた夏侯惇の話
夏侯惇の渾名の元ネタ?

*1:流れ矢が目に当たったりしてるし、敵の捕虜になったのも前線にいたからかもしれず、夏侯惇は自ら先陣をきって戦う将軍だったとも考えられる。逆に能力低すぎて敵が簡単に後方までこられるような戦略しか考えられなかったのかもしれないが・・・。

*2:宗主とまではいかなくとも、同世代の夏侯氏の中では年長者であった

*3:曹嵩は曹騰の養子のため、曹操と彼ら曹氏には直接的血縁関係は無いと思われるが、この当時は儒学的に考えると養子は血縁関係のある者(甥など)を選ぶのが基本であったため、夏侯氏と曹氏には血縁関係がある可能性が高い

*4:孫策死後、孫権が孫氏のトップになる後ろ盾となった。