何年生きてんだ・・・
道教関係の書物からの話、きっと信頼性は皆無
范蠡といえば臥薪嘗胆なときの越に仕え、呉を破ったことで有名である。
『歴世真仙体道通鑑』から、その范蠡の伝
『歴世真仙体道通鑑』巻之三「范蠡」
范蠡,字少伯,徐人也。事周,師太公望。好服桂飲水,為越大夫,佐勾踐破吳。後缪輕舟入海,變名姓,適齊為鴟夷子。更後百餘年,見於陶,為陶朱君,財累億萬,號陶朱公,復棄之(缺文)賣藥,後人世世識見之云
注:李元膺記范蠡學道於麗元山,屬彭州。《二十四化志》云:范蠡於北邙山得仙。
訳:范蠡、字は少伯、徐の人である。周に仕え、太公望に師事した。服桂飲水(?)を好み、越の大夫となり、勾践をたすけて呉を破る。後に軽舟を用意して海に入り、名を変えて斉に行き鴟夷子となった。更に百年余り後、陶に見え、陶朱君となり、財産は億万にもなった。陶朱公と号し、また之を捨て(欠文)薬を売った。後の人は、これを正しい判断であったとした。
注:李元膺は范蠡が道を麗元山(彭州に属す)に学んだと記した。『二十四化志』にいう、范蠡は北邙山で仙道を得た。
周に仕え
(´∀`;)まっ・・・まあ春秋時代も一応周だしな
太公望に師事した
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚)
太公望っていつの時代だと思ってんの!!!!!
呉を滅ぼした年:前473年
殷の滅亡(太公望の活躍時期):前1046年頃
500年以上離れてるんですけど・・・
しかも呉が滅んだ後も百年あまりして陶に行くって・・・
どんだけ長生きなんですかぁーっ!