雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

元儒先生

『古今図書集成』明倫彙編,氏族典,婁姓部
婁壽
按萬姓統譜壽字元考南陽人幼而岐嶷有志行好
學不厭棲遲衡門樂以忘憂郡縣屢辟皆不應門人
諡曰元儒先生

訳:婁寿
萬姓統譜によると婁寿は字を元考といい、南陽の人である。
幼いころから堂々としていて、志があり、学問を好んで行い、粗末な部屋で暮らすのをいやがらず、
楽しむことで憂いを忘れた。郡県が度々招いたが全て応じなかった。
弟子達が諡して“元儒先生”といった。

“棲遲衡門”“樂以忘憂”=それぞれ詩経論語をふまえたものと思われる

彼に関して婁寿碑なるものも残っている

『古今図書集成』理學彙編,字學典,法帖部,彙考二
元儒先生婁壽碑
按隸釋今在光化軍婁君名壽以靈帝熹平三年卒
國人相與諡之曰元儒先生(後略)

訳:元儒先生婁寿碑
隷釈によると、今、(婁寿碑は)光化軍(地名)に在る。
婁君、名は寿、霊帝の熹平三年(174年)に亡くなった。
国の人が諡を与えて、「元儒先生」といった。



で、ここまで長々と書いてきましたが、結局何が言いたかったかというと、
婁寿は南陽の出身、さらに、後漢後期の人ということで婁圭の割と近い親族だったんじゃないのかなといいたかった。


本当にどうでもいいネタばっかりですいません・・・