雲子春秋

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夏侯惇の渾名の元ネタ?

夏侯惇の渾名「盲夏侯」の元ネタのような話が漢書にある。
まず夏侯惇のとっても有名な話



『魏書』夏侯惇伝註に引く『魏略』

夏侯淵與惇倶為將軍,軍中號惇為盲夏侯.惇惡之,照鏡恚怒,輒撲鏡于地.

訳:当時、夏侯淵夏侯惇とともに将軍であったため、軍では夏侯惇を「盲夏侯」と呼んだ。夏侯惇はこれを不快に思い、鏡を見ると激怒し、鏡を地に投げつけた。



その元ネタっぽい漢書の話。



漢書』杜周伝附杜欽伝

欽字子夏,少好經書,家富而目偏盲,故不好為吏.茂陵杜鄴與欽同姓字,倶以材能稱京師,故衣冠謂欽為「盲杜子夏」以相別.欽惡以疾見詆,乃為小冠,高廣財二寸,由是京師更謂欽為「小冠杜子夏」,而鄴為「大冠杜子夏」云.

訳:杜欽は字を子夏といい、若くして経書を好んだ。家は富んでいたが、片眼が見えなかった。そのため、役人となろうとはしなかった。茂陵の杜鄴は杜欽と同じ姓と字であり(杜鄴、字は子夏)、ともに才能で京師に知られていたので、士大夫たちは杜欽を「盲杜子夏」と呼んで区別した。杜欽は病によって誹謗されるのを不快に思い、小冠を作ったが、その冠の高さと広さはわずか二寸であった。こうして京師では、あらためて、杜欽を「小冠杜子夏」、杜鄴を「大冠杜子夏」と呼んだ。



杜欽は前漢御史大夫杜延年の子で、官職は兄弟に及ばなかったが、もっとも有名であったという。


オチは全然違う
一方は物にあたり、一方は別な呼び名がつくように頭を使う。
これが夏侯惇の限界か・・・


オチは違えど「盲夏侯」という表現は、これをふまえた表現なのかもしれない。