雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

裴松之史観

裴松之の注はかなり彼の主観&思想が入っている。
例えば、

三国志』巻十
臣松之以為列傳之體,以事類相從.張子房青雲之士,誠非陳平之倫.然漢之謀臣,良、平而已.
若不共列,則餘無所附,故前史合之,蓋其宜也.
魏氏如詡之儔,其比幸多,詡不編程、郭之篇,而與二荀並列;失其類矣.
且攸、詡之為人,其猶夜光之與蒸燭乎!其照雖均,質則異焉.今荀、賈之評,共同一稱,尤失區別之宜也.

荀攸賈詡は性質が月とすっぽんだから伝をいっしょにすんなといっている。
きっと彼は賈詡のことが嫌いなのだ。


他にも

三国志』巻三十三劉禅伝注引『魏氏春秋』
初,益州從事常房行部,聞褒將有異志,收其主簿案問,殺之.褒怒,攻殺房,誣以謀反.諸葛亮誅房諸子,徙其四弟於越嶲,欲以安之.褒猶不悛改,遂以郡叛應雍闓.
臣松之案:以為房為褒所誣,執政所宜澄察,安有妄殺不辜以絓姦慝?斯殆妄矣!

朱褒の乱の前に、益州従事の常房が朱褒の異心を知って、その主簿を尋問して殺した。
朱褒は怒って常房を殺し、常房が謀叛を企んでいたと誣告した。
諸葛亮は常房の子を殺し、弟を越嶲に遷し、朱褒を落ち着かせようとした。
しかし後に朱褒は反乱してしまった。
ということがあった。


裴松之はこの話に対して、もし常房が誣告されたなら、執政者は気づくはずで、このようなことが起こるはずがない(キリッ と述べる。


確かに出典が、他国の史書である『魏氏春秋』なので事実でない可能性が高かったとしても、執政者が気づくなどという根拠は薄すぎるのではないか。
今までにどれほどの人が誣告によって死んでいったと思っているんだ・・・。


きっと彼は諸葛亮が好きなんだろう。
だから無理な擁護までして彼の名誉を守ろうとしていたのかもしれない。


他にもいろいろと史料批判や人物批判を行っている。
裴松之注を注意深く見ることで、裴松之の思想、さらには彼の生きた劉宋の時代の思想も読み取ることができるかもしれない。



そういえばブログの設定を変えて日付が変わる時間を遅くしたので、余裕を持って更新出来るようになりました。