雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

漢・三国時代の名刺

霊帝のは今書いてるんでもうちょっとまってね☆
角谷常子「漢・魏晋時代の謁と刺」(藤田勝久・松原弘宣編『東アジア出土資料と情報伝達 汲古書院、2011)を読んだ。この記事はこの論文をもとにしてるのでもっと詳しく知りたい方は買うか図書館で読んでください。比較的新しいので手に入りやすいと思われます。
三国志ファンの間では朱然の墓から名刺がみつかったということがわりとよく知られている。
当時の名刺には謁と刺の二種類があった。
今回はとりあえず謁の話。
謁のほうが古くから見られている。
謁は裏表両面で、宛名面と用件面があったそうだ。
朱然のではないが尹湾漢墓から見つかった謁の画像があった。
これは前漢成帝期のもの、大きさは幅68mm×長227mm

↑宛名面

↑用件面
http://51kantie.com/read/109-13971 から転載。(すごく重いが他にもいろいろと画像が載ってるので興味のある人はどうぞ。)

宛名面は
右から

東海太守功曹
師 卿

「東海太守功曹、師卿に奏す」という感じ。
卿は敬称で、東海太守の師なんたらさんに奏上する、という宛名である。
ちなみに「奏」の部分が「進」になってることもあるらしい。


用件面の方は

琅邪太守賢迫秉職不得離國謹遣吏奏謁再拝

君兄馬足下            南陽揚平卿

「琅邪太守賢、秉職迫り國を離るるを得ず。謹みて吏をして謁を奏し再拝せしむ。請う。君兄馬足下 南陽揚平卿」
意味は琅邪太守の賢は職務が忙しくて国を離れられないので、謹んで吏(の私に)謁を奏させ、再拝させました。
請う。(用件面の決まり文句のようなもの)
君兄(師なんとかさんの字)馬足下(自らをへりくだって言う足下よりもさらにへりくだった敬称)
南陽の揚平卿(揚は姓、平卿は字)


用件面の一行目はこれほど長くない時もあって
○○太守謹遣吏奏謁再拝
だけのときもある。「謹遣吏奏謁再拝」は一種のテンプレなのだろう。


まあみんなも自分の謁をつくってみては?


つくってみた。
私魏景雲(景雲は字ということにしておく。漢中出身)が河東太守杜畿の吏という設定で馮翊郡功曹の游殷(字:平斉)に謁をわたすという設定。
なんで杜畿と游殷になったか?杜畿は思いつき、游殷は「三国志 功曹」でググったらでてきたから。それだけ。第一次北伐諸葛亮撃退の功労者游楚は彼の子。游楚すき。