船舶の回避義務
え、霊帝?なんのこと?
すいません次の更新でやりますorz
『三国志』巻五十七、虞翻伝
翻嘗乘船行,與麋芳相逢,芳船上人多欲令翻自避,先驅曰:「避將軍船!」翻窅聲曰:「失忠與信,何以事君?傾人二城,而稱將軍,可乎?」芳闔戶不應而遽避之。
世紀の畜生として知られる虞翻の有名なエピソード。
呉に降伏して将軍となっていた麋芳と船で出くわした。
麋芳の船が「将軍の船をよけてください」と虞翻に伝えたが、虞翻は「忠も信も守れず二つも城を失ってなにが将軍だよ笑」と言って拒否したという話。
そもそもなぜ麋芳は虞翻によけてと言ったのか。
「(麋)芳の船上、人多く、(虞)翻をして自ら避けしめんと欲す」とある。
麋芳の船上には多くの人がいた。
すなわち、麋芳の船のほうが虞翻より重い船だったため、よけてもらおうとしたというのである。
現代の船舶ルールでは、右から左を航行する船に優先権があるらしい(あんまりよく知らないので間違ってるかも)
が、いまでも慣習的に大型の船に対し、小型船がよける例があるという。
その結果船舶事故も起きているみたいだけど。
んで、中国最古の交通法規が書かれた南宋の頃の碑には「賤避貴、少避長、輕避重、去避來。」とあるという。
賤は貴を避け、少は長を避け、軽は重を避け、去は来を避ける。
これが、古代から中国の慣習的交通ルールであったのかもしれない。
それに則って重い麋芳の船が軽い虞翻の船に避けるよういったのでなんでこうまで言われなくちゃいけないんだろうね。かわいそう。
つうかこのエピソード注かと思ってたら本文かよ。
蜀から呉に降伏した麋芳の不名誉エピソードを二つも載せる*1ちんJもぐうの音もでないほどの畜生だな。
今回の記事は王子今・菅野恵美訳「中国古代交通システムの特徴――秦漢文物資料を中心に――」(『東アジア出土資料と情報伝達』汲古書院2011)を基にしています。
*1:もう一つ、「あけるべきでないときに城門をあけて降伏するのにあけるべきときに軍営の門はあけないんだな笑」のエピソードも本文にのってる。