雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

高順騎将説への疑義

高順は騎将というイメージは根強いと思われる。
光栄の三国志11においては騎兵適性が最高ランクのSであるし、蒼天航路では弁髪で北方騎馬民族風出で立ちであった他、三国志大戦でも兵種は騎兵らしい。


こういったイメージはおそらく、高順が呂布并州時代からの古参、あるいは旧董卓配下の涼州人であると考えられているところから来るのであろう。
私自身もそのイメージだった。
が、だいぶ前にtwitterお菓子っ子さんの次のような発言を見て考え直す必要を感じた。

陳留には有力な高氏がおり、三国志関係では、袁紹の甥の高幹やその従兄弟の高柔などを排出している。
活躍地域から見て高順がその一族の可能性は十分に考えられると思う。


そしてこの再考の材料として、まず、高順騎将説を再検討してみようと考えた。
というのも、高順が騎兵を率いる騎将であるとするならば、騎兵の産地、并州涼州出身・呂布の古参と見る方が適当であり、この陳留人説は分が悪くなる。
逆に言えば、騎将でなければ陳留人説にもある程度の可能性が見いだせるというわけだ。*1


というような話をtwitterでしたところ、いろいろと有益な情報が得られたのでまとめてみた。みなさんありがとうございました。
http://togetter.com/li/385259
このまとめを読んだら以下の文章を読む必要はありません。
おなじ事を言い方代えたり代えなかったりで書くだけなので。

三国志』巻七、呂布伝、注引『英雄記』
(高)順為人清白有威嚴,不飲酒,不受饋遺。所將七百餘兵,號為千人,鎧甲鬭具皆精練齊整,毎所攻撃無不破者,名為陷陳營。

英雄記に高順が率いた兵の記述があるのだが、そこには
率いるところの七百の兵は千人と号し、鎧甲(よろいかぶと)、闘具(武具)は皆精練されととのっていた云々。
とあり、馬に関する記述は何もない。
もし騎兵部隊であったならば、このような称賛は馬にも向けられてしかるべきで、装備品のみ称え、馬に関しての言及がないというのはちょっと不自然だ。


また、ここで高順のあだ名とされる陥陣(陳*2)営について考えてみる。
陥陣とはそもそも何かというと、陣を落とすという戦功を表す用語であるようだ。
さらに、「名づけて陥陣営と為す」とあるのだが、これはどうも高順という個人へのあだ名ではなく、高順が率いた七百人の部隊に付けられたもののように思われるのだ。英雄記の文を見直してみると、この「名為陥陳営」という語句は高順ではなく、「所将七百余兵」にかかっている。

「営」というのは軍営、もともとは部隊の駐屯地という意味、派生して部隊そのものを指す。
まさにこの通り、陥陣(という功績を立てまくる)営という名がこの部隊に付けられていたと読むべきなのだ。
陣を落とすのは歩兵の役割であり、騎兵は陣を攻撃するのに向かない。


とすればこの陥陣営という部隊、歩兵主体の部隊と考えるのが自然である。
騎兵部隊のイメージがある高順は歩兵主体の部隊を率いて敵陣を落とすはたらきが期待されたのだ。


これをもって高順は陳留人だというのははっきり言って無謀だろうが、并州あるいは涼州人説という従来のイメージに再考の余地を生むことは間違いないと思うのだ。
これまでもっていたイメージを考え直してみると、意外と発見があるのかもしれない。
みんなもやってみよう。

*1:騎兵関係ない并州人や涼州人だっているかもしれないだろ!というツッコミはなしでお願いします。重々承知してます。これがあくまでも妄想の材料に過ぎないってことも、并州涼州関係なかったからと言って即陳留人になるわけでもないってことも

*2:陣と陳は同じ漢字として使われてる