雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

公子→公孫→?

姓と氏、現代ではあまり区別しないが、もともとは別のものであった。
日本ではどのように区別するかはさておいて、中国でのお話。
血族集団ごとに「姓」を共有していた。
姓の例としては、子、風、媯……などなどがある。
その後、集団が大きくなると、集団を細分化する必要がでてくる。
そうして役割や、土地ごとに新たに「氏」を与えることで区別をはかった。
例えば媯姓から陳という土地に封ぜられた人は陳氏となった。
日本で例えると藤原が佐渡に渡って佐藤(渡の原)になったみたいなもの。この場合藤原が姓で佐藤が氏。


余談だけど同姓不婚ってのも、この根幹の姓が同じなら氏が違っても結婚できない、みたいなきまりだった。だいぶ昔は。


さて、これは本題ではないので、上の話はいろいろと間違った解釈かもしれないが、氏というのが姓から分化してきてるものだということはある程度正しいはず、少なくとも中国ではそう認識されてきていた。


本題は公の子孫の氏の付け方である。
公は春秋時代の諸侯のことと思っていただきたい。
彼らは斉公なら斉が、陳公なら陳が氏のようなはたらきをしていた。
そして彼ら公の子どもは「公子」が、その孫は「公孫」が氏のように使われた。
そしてその後の世代であるが、「公曾孫」となるかというとそうではなかった。
祖父の字(あざな)を氏としたのだ。
皇甫という氏はこのつけかたである。
宋の戴公の子は公子充石といい、字を皇父と言った。
その孫が彼の字、皇父を氏としたという。
その後、漢初に父を甫にかえて皇甫という氏が完成したという。


こういう風に氏のでき方もいろいろあるんだよ。
氏とか姓って面白いね!


こうやって姓と氏の違いを説明しておけば、氏のつけかたとかどの姓から派生した氏なのかとかいろいろと記事が書けるようになって更新が楽になるなあとは思ってません。