雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

関羽と左伝

SNSに書いた話をまるっきりそのまま使う。昨日つぶやきもしたけど。


今更ながら春秋左氏伝を読んでいる。
春秋左氏伝といえば、関羽が愛読し、ほぼ暗唱できるほどであったというエピソードは有名である。
しかし関羽は文面だけ覚えて、本質を理解していなかったのではないかと思う。
隠公六年五月の条に次のような話がある。
鄭が陳に和議を求めた。陳の五父という人は「仁に親しみ、隣国と仲良くするのは国の宝である」と説き、鄭との講和を勧めた。しかし、陳侯は宋・衛という大国を恐れる一方で、小国である鄭をあなどり、和議を拒否してしまった。その後、鄭は陳に攻め込み、陳は大損害を被ったのである。


隣国をあなどり、敗北することになった人物に心当たりはないだろうか。
関羽である。
関羽は樊城攻撃の前に、孫権から縁談の申し出をうけるが、その使者を辱めた上、断っている。
その後の結末は言わずもがな、孫権に背後を攻撃され、身は死し、地を失う結果となっている。
もし、この時、本当に左氏伝を理解していたならば、このような隣国との関係悪化を招く事態にしてしまっただろうか。


関羽の死は残念ながら当然、本質を見失った男らしい最期といえる。