雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

『華芳墓誌』―華歆の曾孫華芳と太原王氏

1965年、北京で王浚の妻、華芳という人の墓が見つかった。
この墓は西晋永嘉元年(307年)に作られたもののようで墓から『華芳墓誌』とよばれる墓誌が出土した。
この華芳は華歆の曾孫であり、王浚は名門の太原王氏で『三国志』注にたびたび引用される『魏書』の作者王沈の息子である。本人も驃騎大将軍にまでのぼり、最期は石勒に斬られた人で『晋書』に父子あわせて伝がある。
この『華芳墓誌』には史書にない華歆の妻や息子の名前が出てくるので貴重かもしれない。
テキストはhttp://www.chinapage.com/big5/history/hwsng1.htmから取ってきて若干修正。
テキスト中の“」”は改行をあらわしてる模様。それに従って改行しても環境によってバラバラなので改行はしない。各自心の中で改行しよう。
あと、□は欠落。残念><

テキストは全文コピペしてるけど全部は訳さない。
あと、訳は人名の羅列で面白くないから読まなくて良いよ。物好きだけ読んでくれ。

【誌陽】晉使持節侍中都督幽州諸軍事領護烏丸校尉幽州刺史驃騎大將軍博陵公太原晉陽王公故夫人平原」華氏之銘。」公諱浚,字彭祖。」曾祖父諱柔,字叔優,故漢使持節護匈奴中郎將雁門太守。夫人宋氏、李氏。墓在本國晉陽城北二里。」祖父諱機,字產平,故魏東郡大守。夫人郭氏、鮑氏。墓在河內野王縣北白徑道東北,比從曾祖代郡府君墓,南鄰從祖東平府君墓。」父諱汶*1,字處道,故使持節散騎常侍司空博陵元公。夫人穎川荀氏。墓在洛陽北邙恭陵之東,西比武陵王衛」將軍,東比從祖司空京陵穆侯墓。」浚前夫人濟陰文氏,諱●,字世暉,年廿四薨。有子女曰韶,字韶英,適穎川棗臺產。產父故大子中庶子。麗,字韶」榮,適濟陰卞稚仁。仁父故廷尉。則,字韶儀,適樂安孫公淵。淵父故平南將軍。」夫人祖諱和,字叔懌,故光祿勳。夫人張氏、解氏。父諱猗,字子課,故溫令。夫人孫氏。外祖父義陽孫朝,字恭宗,故」征北司馬。夫人樊氏。長舅諱溥,字玄平,故建平大守。夫人孟氏。中舅諱超,字玄叔,故大子庶子。夫人蠟氏。次舅」諱疇,字玄回,故南陽大守。夫人崔氏。季舅諱啟,字玄明,南安大守。夫人索氏。」中夫人河東衛氏,諱葰,字惠瑛,年十九薨。無子。」夫人祖諱覬,字伯覦,故魏尚書聞陽鄉敬侯。夫人□氏。伯父諱瓘,字伯玉,故侍中行大子大保司空菑陽公。夫」人董氏、任氏。父諱寔,字叔始,故散騎常侍聞陽鄉侯。夫人劉氏。外祖父劉□字□□,故河東大守。」右二夫人陪元公墓西三丈。」夫人華氏,諱芳,字敬華,年卅七薨。有子曰冑,字道世,博陵世子。次曰裔,字道賢。
【誌左側】夫人曾祖父諱歆,字子魚,故魏太尉。夫人滕氏。祖父諱炳,字偉明,故魏侍御史。夫人任氏。父諱衍,字長冑,故侍」御史安鄉亭侯。夫人劉氏。兄諱酆,字敬始,故豫章王文學安鄉亭侯。兄諱璣,字敬珩,前西安令。姊諱苕,字宣華,」


【誌陰】適穎川荀泰章。章父故司徒。外祖父沛國劉芬,字含元,故尚書肅成伯。夫人武氏。長舅諱粹,字純嘏,故南中郎將。夫人荀氏。中舅」諱□(世説新語によると劉宏),字終嘏,故太常。夫人華氏。少舅諱漢*2,字沖嘏,故光祿勳。夫人程氏。


  夫人華氏,平原高唐人也。其民族繁茂,中外隆盛,列爵顯號,已具之銘表。弈世載紱,生自高冑,天姿發於自然,仁教漸於義訓。遭」家不造,十五而無父。在喪過哀。及居室色養,盡孝承親,清恒婉嫕,〔注二〕容止有則。年十八,繼室于我。拜公夫人。爰初起家,而居有之,榮」顯在身,操行俞卑。大夫人在堂,勤執婦道,率禮不越,竭心朝夕,恭謹如也。文氏早終,有三女。鞠養隱密,訓誨兼備,慈愛發於至誠,」三孤不覺非親。雖尸鳩稱平,魏母曰慈,恐無以過矣。余承先寵,遂歷朝階。委政中匱,不失其職。動遵典度,佩無亂節。用能聿脩內」教,加濟我家道也。永興之中,王室有難,奉詔南征,義在忘家。夫人留內,惠懷有方,政成閨闈,而道周于外。緝安之勳,蓋有與焉。皇」駕及都,仍蒙筯寵,爵居小君之位,身為三事夫人。而躬自抱損,卑心降己,朝夕思念,憂在進賢。身服浣濯,衣不文繢,清約施於躬」儉,仁惠置於遝下。朗解五音,而不聽聲樂,欲以終成家風,匪唯一己而已。自初敕降,繼嗣未甄,常勸余宜廣媵御,以錫眾類。和平」之性,情無矜假。有五庶子,同之一生。及牧御群下,訓導以漸,威不加嚴,而左右自肅也。天啟之願,晚育二胤。世子冑,六歲。小子裔,」年二,其實七七日。妙哉藐孤,性質所稟,有由而來,冀以此隆洪基,奉先業也。自嬪余庭,廿有載,享年卅七,永嘉元年春二月辛巳」朔廿九日己酉薨于府舍。雖寢疾彌篤,言不違正。兄姊四人。姊適穎川荀氏,先亡。兄文學,有令名,早終。唯老母小兄為居,家貧守」約,祿養未呈,放遠奉迎,旦夕歸安。臨沒無言,唯以養親不終為恨。自經事難,以勉諸難。母姑遠至,兒孫具集,軍國執事,愍其懃勞,」常欲奉一觴之壽,加一飲之賜。吾有出親之憂而未得也。垂終之日,猶見此心。出錢三百萬,以頒上下。先子有云,人之將死,其言」也善。此之謂矣。及遺命送終,斂以時服,金環珠玉,非徒存所不尚,力戒莫以送。殯葬之制,事從節約。蓋夫貴而無驕,富而不奉,難」矣斯人也。少以清婉居室,長以仁賢成家,謙沖隱約,著之行事,明見達理,顯於垂亡,可謂終始不玷,存亡無虧者矣。先公舊墓,在」洛北邙。文、衛二夫人亦附葬焉。今歲荒民饑,未得南還。輒權假葬于燕國薊城西廿里。依高山顯敞,以即安神柩。魂而有靈,亦何」不之。選吉日,備車徒,介士隨命秩所應,具三府之儀,使不●舊典而有加禮也。凡一善必紀,古人謂之實錄。況我伉儷信順之積」而可沒哉。故圖書容像,綴集往行,俾後之子孫,以明先母之攸操云爾。乃作頌曰:」二象合契,貞龜啟繇,於穆淑媛,體純紱茂。清韶雋令,固天所授,含章內朗,蘭音外秀。曰婦惟孝,在繼斯慈,繾綣之款,情實在茲。積」善餘慶,福乃降之,誕生二胤,以構洪基。伊余屯亶,仍多斯殃,二婦短祚,前念未忘。之子之來,庶幾剋昌,上天降窅,中年夭喪。旋堂」


【誌右側】莫睹,廓焉其亡,假瘞燕都,寄情山岡。生榮死哀,終然允藏,心之云悼,慨其永傷。」永嘉元年四月十九日己亥造。

訳:
晋使持節侍中・都督幽州諸軍事・領護烏丸校尉・幽州刺史驃騎大将軍・博陵公・太原晋陽王公故夫人、平原華氏銘
王公は名前を浚、字を彭祖といった。曾祖父の王柔は字を叔優といい漢の使持節護匈奴中郎将雁門太守であった。その夫人は宋氏と李氏。墓は晋陽城の北二里にある。祖父は王機、字を彦平といい、魏の東郡太守であった。夫人は郭氏と鮑氏。墓は河内野王県の北、白径道にあり、東北は叔曾祖父、代郡府君(王沢)の墓に近く、南は従祖父、東平府君の墓に近い。父は王沈、字処道、使持節散騎常侍司空・博陵元公だった。夫人は潁川の荀氏。墓は洛陽の北邙山*3、恭陵の東にあり、西は武陵王・衛将軍の墓、東は従祖父、司空京陵穆侯(王昶)の墓に近い。
王浚のはじめの夫人は済陰の文氏だった。名は●、字は世暉、二十四歳で死んだ。娘は王韶、字を韶英といった。潁川の棗台彦*4に嫁いだ。棗台彦の父(棗拠)は太子中庶子であった。また、王麗という娘は字を韶栄といい済陰の卞稚仁*5に嫁いだ。卞稚仁の父は廷尉だった。王則という娘は、字を韶儀といい楽安の孫公淵に嫁いだ。孫公淵の父は平南将軍*6だった。文夫人の祖父は文和、字を叔懌といい、光禄勳だった。その夫人は張氏と解氏。父は文猗、字を子課、温県の県令だった。その夫人は孫氏、孫氏の祖父は義陽の孫朝、字は恭宗、征北司馬だった。その夫人は樊氏。(文氏の)母方の一番目の伯父は孫溥、字を玄平、建平太守だった。夫人は孟氏。二番目の母方の伯父は孫超、字は玄叔、太子庶子だった。夫人は鄧氏。三番目の母方の伯父は孫疇、字は玄回、南陽太守だった。夫人は崔氏。末の伯父は孫啓、字は玄明、南安太守だった。夫人は索氏。
(王浚の)二番目の夫人は河東の衛氏、名前を葰、字を恵瑛といった。十九歳で死に、子はなかった。衛氏の祖父は衛覬、字伯覦*7、魏の尚書・聞陽郷敬侯だった。夫人は□氏。伯父は衛瓘、字を伯玉、侍中行太子太保・司空・菑陽公だった。夫人は董氏と任氏。父は衛寔*8、字は叔始、散騎常侍・聞陽郷侯だった。夫人は劉氏。(夫人の)母方の祖父は劉□、字を□□、河東太守だった。
文氏・衛氏の二夫人は元公(王沈)の墓の西三丈のところに陪葬された。
王浚の夫人華氏は名前を芳、字を敬華といい、三十七歳で死んだ。子は王冑、字を道世、博陵公(王浚)の世継ぎ。次子は王裔、字を道賢。*9華氏の曾祖父は華歆、字を子魚、魏の太尉だった。夫人は滕氏。祖父は華炳、字は偉明、魏の侍御史だった。夫人は任氏。父は華衍、字を長冑、侍御史・安郷亭侯。夫人は劉氏。兄は華酆、字を敬始、豫章王文学・安郷亭侯だった。兄は華璣、字を敬珩、西安令だった。姉は華苕、字を宣華、潁川の荀泰章に嫁いだ。荀泰章の父は司徒*10だった。(華氏の)母方の祖父は沛国の劉芬*11、字を含元、尚書・粛成伯だった。夫人は武氏*12。母方の一番目の伯父は劉粋、字は純嘏、南中郎将だった。夫人は荀氏。二番目は劉□*13、字を終嘏,太常だった。夫人は華氏。三番目は劉漢*14、字を沖嘏,光禄勳だった。夫人は程氏。(後略)

あとは華夫人の経歴が続くけど。疲れたので訳さない。すまんな。
史書にも出てくる人物などは脚注でいろいろ確認してね。『世説新語』まで駆使してがんばったんだから!!


んで系図をつくってみた。墓誌以外の史書も参照してるので墓誌に出てこない人もいれてる。
系図注のクエスチョンマークのある人は雲子予想なのであてにしないでね。
追記)父親の妻=母親とは限らないので基本的に父親から棒だしてます。
まず王浚―文氏の系図

次は王浚―衛氏

そして王浚―華芳


以下気になったこととか。
・王柔と王沢は郭泰(林宗)に人物評価してもらった人として『後漢書』の郭泰伝にでてくる。
・王浚の娘が棗祗の曾孫と婚姻!胸熱!!
・王麗の夫は済陰卞氏なので魏の卞皇后とはたぶん関係ないよ(ガッカリ
・でも済陰卞氏は卞壼*15という人が有名。王麗の夫の従兄弟かもしれないけどなんともいえない。脚注5参照。
・王浚の二番目の妻が衛覬の孫ってのも熱いな。
・河東人衛覬の子、衛寔の夫人である劉氏の父は河東太守、おいおい癒着か?
・華歆の妻滕氏はおそらく呉の滕胤とかと同じ北海滕氏。華歆は北海の隣平原出身、北海の邴原とも親しくしていたし北海とのゆかりがある。
・華芳の祖父華炳は『三国志』華歆伝注『譜叙』の華歆三子(華表・華博・華周)の中にいないが、字が偉明で、華表の字偉容と輩行*16している。もしかしたら華博・華周のどちらかのことなのかもしれない。字体的に華博がアヤシイ。
・華芳の同世代の男子の字は皆「敬」*17。彼らと同世代の華表の孫も字に「敬」をいれて輩行してる。


なんか気付いたことあったら教えてください!
太原王氏ってすごい。(小並感)

*1:王浚の父は王沈。汶はおそらく誤字。

*2:世説新語では劉漠

*3:公卿の墓所として知られるところ

*4:棗嵩、棗祗の曾孫

*5:済陰の卞郭、字仲仁は父卞俊が廷尉。稚仁は仲仁のことか

*6:楽安の孫旂は平南将軍となっている。孫公淵はその子の孫弼か孫回のことか。301年に族滅になってるのでちょっとよくわからない。

*7:三国志』では伯儒

*8:衛瓘の弟に衛実(=實)というのがいる。寔と實とは字体が似ている上、衛瓘の継いだ衛覬の封爵、聞陽亭侯(『晋書』では開陽亭侯)をさら受け継いでおり、同人の可能性が高い。

*9:『晋書』王浚伝には「無子」とある。二人の子は早死にしたのかもしれない。

*10:荀組か?

*11:三国志』管輅伝および注に引く『晋諸公賛』・『世説新語』賞誉篇の注に引く『劉氏譜』によると劉邠、平原太守や、晋の太子僕となった。

*12:世説新語』賞誉篇の注に引く『劉氏譜』によると武周の娘。

*13:『晋書』劉惔伝・『世説新語』賞誉篇などによると劉宏

*14:三国志』管輅伝注に引く『晋諸公賛』では劉漢だが『晋書』劉惔伝では劉潢、『世説新語』賞誉篇では劉漠、いったいどれが正しいのか。多数決なら『墓誌』+『晋諸公賛』の劉漢ということになるね。

*15:壺じゃなくて壼。微妙な違い。

*16:字の一字を兄弟一族同世代でそろえること

*17:余談だが華歆の諡も敬。