雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

段熲と涼州大乱

後漢書』列伝第四十七、劉陶伝
是時天下日危,寇賊方熾,陶憂致崩亂,復上疏曰:「臣聞事之急者不能安言,心之痛者不能緩聲。竊見天下前遇張角之亂,後遭邊章之寇,每聞羽書告急之聲,心灼內熱,四體驚竦。今西羌逆類,私署將帥,皆多段熲時吏,曉習戰陳,識知山川,變詐萬端。(後略)

涼州における辺章らの反乱について、劉陶という人はいう。
「反乱に参加している西羌は勝手に将帥を任命したが、その多くは段熲の部下であり、戦闘に明るく、地形を知り、策謀に巧みである。」


184年の北宮伯玉・辺章・韓遂らによる涼州大乱の反乱軍に参加した者の多くはかつて段熲の部下であり、羌の反乱を鎮圧した段熲に従っていた者がいまや反乱側であるという。
そもそも反乱の発端北宮伯玉は湟中義従胡であったが、義従胡とは“義”により漢に“従”った者という意味で、異民族のなかでも漢サイドの者のことなのである。公孫瓉の白馬義従なんかが有名である。


辺章・韓遂漢人であり、この涼州大乱は、漢の味方だった異民族と漢人が起こした大乱であり、その重大性は想像を絶するものである。


さて、賈詡が涼州大乱の中、反乱した氐に捕まったが、「段熲の甥だ。」と騙って難を逃れた話がある。
難を逃れられたのは彼らはかつて段熲の部下だったりしたからなのかもしれない。