雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

黄忠と何進その2

だいぶ昔に書いた話。
何進の命で申屠蟠という人にに手紙を書いた黄忠劉備軍の黄忠と同一人物ではないかという説。
http://d.hatena.ne.jp/chincho/20091008/1254995653
申屠蟠の同郡なのか何進の同郡なのか。
何進は申屠蟠の同郡の奚中郎を申屠蟠のもとに何度も行かせたらしい。
それでもこなかったために、何進は深くうらんで威刑で脅すために黄忠に手紙を書かせたという経緯である。
脅す意図があるなら相手の同郡人ではなく、むしろ自分の同郡人を使うような気がする。


さて、一ヶ月ほど前にツイッターでも呟いたけれど、別な方向から黄忠黄忠説を補強したい。
劉備軍の黄忠劉備に仕える前には劉表に仕えていた。
劉表陣営を見ると、何進から劉表に流れた人物が見られる。
そもそも劉表何進の掾であった。
さらに王粲の父王謙は何進の長史だったし、蒯越も何進の東曹掾だった。
このように、劉表の人脈には何進時代のものもあると思われる。
黄忠何進劉表となっても別に不思議はない。
黄忠が中郎将という高い位にあったのも、劉表に仕えた時期が早いためと考えられる。


てなわけで黄忠何進関係説をよろしく!