雲子春秋

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突将

諸葛亮の後出師の表に「突将無前」という語が出てくる。

三国志』巻三十五 諸葛亮伝 注引『漢晋春秋』
突將無前。賨、叟、青羌散騎、武騎一千餘人,此皆數十年之內所糾合四方之精銳,非一州之所有,若復數年,則損三分之二也,當何以圖敵?

ここでは中華書局は上のように句読点をふり、「突将無前」を一文としている。
ちくま訳はこの箇所をつぎのように訳す。

陳寿著・裴松之注『三国志5』(井波律子訳、ちくま学芸文庫、1993、p132)
先頭に立つべき突撃隊長もおりません。賨・叟(雲南の蛮族)や青羌の散騎・武騎(騎兵隊の名)一千人以上、これらはみな数十年かかって糾合した四方の精兵であり、一州の保有するものではありません。もしまた数年も経過すれば、三分の二を失うことになるでしょう。

このように、ちくまは中華書局の区切りに従って、「突将無前」は「先頭に立つべき突撃隊長もおりません。」という意味で取られている。


さて、中国史研究の大家、濱口重國氏は兵戸制に関する論文の中で「突將・無前・賨叟・青羌」をそれぞれ部隊名と解釈している。*1
氏は『華陽国志』南中志を引用して、無前という部隊があったとしている。

『華陽国志』巻四 南中志
移南中勁卒青羌萬餘家於蜀、為五部、無當・無前、軍號飛□。 *2

訳:南中の精兵や青羌の一万余りの家を蜀に移し、五部の無当・無前とし、軍は飛□と号した。

このように、異民族などを内地に移住させ、その一家から兵を供給させる兵制が蜀にはあったようで、部隊名はその地域や性質などの識別記号として存在したのだろう。兵制はそのうち詳しく取り扱いたい。
さて、「突将無前」の解釈であるが、私は濱口氏の意見に従いたい。
「突将無前」を「先頭に立つべき突撃隊長もおりません。」と訳すのはちょっと無理がある気がする。
新唐書』には「突将」という号の部隊がでてくる。

新唐書』巻二百二十二中 南蛮中
又選悍士三千,號「突將」,

訳:精悍な三千人を選び、「突将」と号した。

このように、「突将」が部隊の号である例もあるわけで。


で、本当に言いたかったのは、突将って劉備が率いてた烏丸突騎部隊のことなんじゃないかね。
劉備に従って蜀に入った烏丸がそこに家を形成し、そこから兵を供給してたってことがあってもおかしくないはず。
そしてそこから供給された兵による部隊を「突将」と号した。
うん、突っていう文字が共通してたって以外に根拠はない><

*1:濱口重國「呉・蜀の兵制と兵戸制」(東京大学出版会『秦漢隋唐史の研究 上巻』所収)

*2:版本によっては「所當無前號為飛軍」となっており、濱口氏も問題視している。