ぼくのかんがえた士仁
完全妄想。断定していても妄想だ!俺を信じるな!俺の言葉を信じるな!
士仁は字を君義といい、幽州広陽郡の人である。
公孫瓉に従い、異民族討伐に従事する。
公孫瓉が劉備を青州に派遣した際、趙雲とともに劉備に従い、劉備の主力騎兵である烏丸突騎を率いた。
後に将軍となり、劉備の荊州における拠点であり公安に劉備の代理として駐屯した。
その後、呂蒙の奇襲を受け涙ながらに降伏した。
降伏に関して言えば、孫権軍とは荊南での衝突はあったが講和が成り立っており攻撃を受けるとは想定されていなかった。
想定外は士仁だけの問題ではなく、荊州を督する立場の関羽にも責任がある。
関羽は呂蒙の策略にかかって公安、南郡の備えの兵を樊城攻略にまわしてしまったわけで、兵力もおらず援軍も期待できない中でむしろどうしろと。
籠城ってのは援軍が期待できて初めて成立するんやで!
というわけで妄想+都合の良い記述のみ*1を拾って恣意的に士仁を礼賛してみました^^
どんな人でも礼賛できる。そう、恣意的ならね。