雲子春秋

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蜀漢太守表2、巴東郡

郡治:永安*1
属県:魚復、朐忍、漢豊、羊渠、巫、北井
興平二年(195)〜建安六年(201)まで固陵郡
先主が益州に入ると(215年頃か?)、江関都尉とした。
建安二十一年(216)、固陵郡*2

人物 期間 前職 後職 兼官
廖立*3 建安二十一年―二十四年 長沙太守 侍中 なし
劉琰 先主定益州―後主立 賓客 衞尉中軍師後將軍

以上は固陵、以下巴東

人物 期間 前職 後職 兼官
輔匡 章武元年―建興中 不明 鎮南将軍 なし
柳伸   漢嘉太守    
羅憲   宣信校尉    

『華陽国志』巻一 巴志
建安二十一年,以朐忍、魚復、漢豐、羊渠,及宜都之巫、北井六縣為固陵郡。武陵康(廖)立為太守,治故陵溪會。

三国志』巻四十 劉琰伝
先主定益州,以琰為固陵太守。

『華陽国志』巻一 巴志
章武元年(略)先主聽復為巴東。南郡輔匡為太守。

『華陽国志』巻十一 後賢志
(柳)伸,漢嘉、巴東太守。

三国志』巻四十一 霍峻伝 注引『襄陽記』
黄皓預政,衆多附之,憲獨不與同,皓恚,左遷巴東太守。


柳伸は初めて知った。
柳伸は蜀郡の人で字を雅厚*4といった。
柳隠、杜禎とともに名前を知られ、諸葛亮の丞相従事、度支、漢嘉、巴東太守を努めた。蜀滅亡後は秀才に推挙された。

*1:修正した

*2:以前の固陵郡と統治範囲に微妙な違いあり。複雑なのでまたそのうち別記事にするかも。しないかも。

*3:前回の巴郡太守にいた気がするがそんなことはなかったぜ。三国志では巴郡太守、華陽国志では巴東太守どっちかわからん。

*4:版本によっては稚原