中郎将諸葛亮
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にも書いたが、中郎将には持節的性格があり、自立性がたかかったという。
さて、劉備が江南を平定した後、諸葛亮を軍師中郎将とした。
張飛が征虜将軍、趙雲が牙門将軍など、将軍がいろいろ置かれる中にあって、諸葛亮は一段格下の中郎将であることを不思議に思っていた。
しかし、おそらく、この軍師中郎将任命にはその持節的性格が関わっていたように思われる。
劉備が益州入りする際、諸葛亮と関羽を荊州にとどめて守らせた。
将軍だった張飛・趙雲も荊州にいるのだが、この時荊州守備の代表として名前を出されているのは諸葛亮(と関羽)である。
『三国志』巻三十五 諸葛亮伝
先主遂收江南、以亮為軍師中郎將、使督零陵・桂陽・長沙三郡、調其賦稅、以充軍實。(中略)
亮與關羽鎮荊州、先主自葭萌還攻璋、亮與張飛・趙雲等率衆泝江
諸葛亮は軍師中郎将として、零陵・桂陽・長沙の三郡の税徴収も行っている。
さらに、趙雲伝には諸葛亮が張飛と趙雲を率いて益州にはせ参じたと書かれる。中郎将である諸葛亮が主で、将軍である張飛・趙雲が従なのだ。
諸葛亮と同じく軍師中郎将となったのは龐統である。
一方の龐統は劉備に従い蜀攻めに参加している。*1
諸葛亮は荊州守備の将軍を、龐統は蜀攻めに参加する将軍を、中郎将の持節的性格により統御したと思われる。
軍師中郎将には後の都督的な役割があったのではないだろうか。