劉焉の益州支配そのに
http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110522/1306029755
の続き。
劉焉は益州掌握の準備を進めていく。
劉焉と非益州豪族層
①東州兵
東州兵:飢饉や乱の影響で南陽・三輔地方から益州に入った流民で組織された兵
狩野直禎氏は、劉焉がかつて南陽太守であったことから、東州兵は南陽人を中核とし、劉焉が荊州から益州入りする際に従ったとする。*1
呂乂の父呂常は南陽人であるが、劉焉とともに益州入りした。*2
このことは南陽から劉焉の入蜀に付いていった人がいることを示しているのかもしれない。
②張脩および五斗米道
張脩と五斗米道の関係はここではあまりふれない。
私もよくわからないからだ。*3
張脩:巴郡のシャーマンキング。後に張魯に殺害される。劉艾『献帝紀』によると彼が五斗米道の創始者である。
五斗米道:張魯(沛郡の人)の祖父張道陵が創始した宗教勢力。張魯の母は劉焉と仲良し。
これらの宗教の支持者は農民や異民族であったという。
劉焉は張脩を別部司馬、張魯を督義司馬とした。*4
そのほか呉壱などは陳留の人であり、その父が劉焉と仲が良かったために入蜀に従ってきている。
妹は劉焉の子劉瑁に嫁いでいる。後に劉備にNTR。
劉焉はこれら非益州豪族層の支持を受ける。
改革で邪魔になるのは既得権益層であり、改革者が手を結ぶのは既得権益層より下位の層である。
これはいくつもの改革で行われてきたことだ。
劉焉は、既得権益層である益州豪族に対抗するため、下位の非益州出身者や、農民、異民族と手を結んだのである。
介入阻止
次に行ったのは朝廷の介入阻止工作である。
ひそかに別部司馬張脩に命じて漢中太守蘇固を殺させる。
さらに、朝廷からの使者を殺したりした上「米賊(五斗米道)のために道が通じず朝廷と使者のやりとりできません。」と上表。←道通じないのにどうやって上表したのかは知らん。
この後、劉焉は益州の豪族十数人を殺すのであるが、太守や県令となっていた人もいた。当然それらの高官を勝手に殺すことはできないはずである。
使者のやりとりをしないことで、豪族殺害の発覚を遅らせ朝廷からの介入を防ぐ意図があったのではないだろうか。
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劉焉と益州シリーズは次回で最終回(予定)
いよいよ
劉焉と賈龍
〜最後の戦い〜