雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

青羌(追記あり)

ツイートした話を流用。

三国志』巻三十一 劉焉伝注引『英雄記』
劉焉起兵,不與天下討董卓,保州自守。犍為太守任岐自稱將軍,與從事陳超舉兵撃焉,焉撃破之。董卓使司徒趙謙將兵向州,説校尉賈龍,使引兵還撃焉,焉出青羌與戰,故能破殺。岐、龍等皆蜀郡人。

劉焉が益州牧であったころ、豪族抑圧政策に反発して地元豪族の反乱が起きた。
劉焉は「青羌」を使って彼らを撃破したという。


この青羌であるが『華陽国志』によれば青衣(地名)の羌族であるという。
青衣は後漢代には漢嘉となっており、蜀郡属国にある。


さて、劉焉とともに入蜀した人に董扶がいる。
彼は求めて蜀郡西部属国都尉となったという。
つまり、青羌は彼の支配下にあった。


青羌が協力した背景には董扶が関係していたのだろうか。
もし初めから青羌を利用するために蜀郡西部属国都尉となっていたとしたら見事な先見の明である。


追記)
董扶伝ちゃんと読んだら霊帝死後引退してたw
直接青羌と董扶が関わってないとしても蜀郡属国の重要性に気づくとはやはり天才か……。
っていう記事だったことにしておこう。