雲子春秋

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王安石と天人相関説

天人相関説は天の運行と人の政治が関係し、人の政治が乱れると天が災害を起こして警告するというもので、古くからあった思想だが、儒教に取り入れられ漢代から特に盛んとなった。(荀子は天人相関説を否定している。)
災害の原因を人の政治の乱れに求めるため、後漢後期には災害によって三公が罷免されることもしばしばあった。
以前取り上げた曹爽と地震の関係なども天人相関説によるものだ。


上手くこの説を利用すれば政敵を失脚させることができるためか北宋時代でもまだこの思想は存在していたようで
北宋王安石が政治を行っていた時のこと、天下は干ばつにみまわれた。

『宋史』巻三百二十七 王安石
七年春,天下久旱,饑民流離,帝憂形於色,對朝嗟嘆,欲盡罷法度之不善者。安石曰:「水旱常數,堯、湯所不免,此不足招聖慮,但當修人事以應之。」帝曰:「此豈細事,朕所以恐懼者,正為人事之未修爾。今取免行錢太重,人情咨怨,至出不遜語。自近臣以至后族,無不言其害.兩宮泣下,憂京師亂起,以為天旱更失人心.」安石曰:「近臣不知為誰,若兩宮有言,乃向經、曹佾所為爾.」馮京曰:「臣亦聞之.」安石曰:「士大夫不逞者以京為歸,故京獨聞此言,臣未之聞也.」監安上門鄭俠上疏,繪所見流民扶老攜幼困苦之狀,為圖以獻,曰:「旱由安石所致.去安石,天必雨.」俠又坐竄嶺南.慈聖、宣仁二太后流涕謂帝曰:「安石亂天下.」帝亦疑之,遂罷為觀文殿大學士、知江寧府,自禮部侍郎超九轉為吏部尚書

王安石に反対する者は、ここぞとばかりに、干ばつを王安石の責任とし失脚させようとする。
そのような中で天下を憂い新法をやめようとする皇帝に対して王安石は、


「水害や干ばつなどの天災は度々おこるもので、古代の聖人であった堯や湯王でも防ぐことはできなかった。陛下が心配することではなく、ただ人事を尽くしてこれに答えるべきだ。」


と述べている。
王安石の発言はもっともで、もし天の運行と人の政治が関係するならば、聖人の治世化で天災が起こるはずなどないのだ。
ところが、実際には聖人といわれた人の治世化でも天災は起こっている。
天人相関説に対する反論として、とても面白いし、説得力もある。


結局反論の甲斐もむなしく、王安石は左遷されてしまうのだが。
これが宋の限界か・・・。