雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

太守のおしごと(不完全版)

三国志を読んでいるとよく見かける「太守」。
でも漠然と「郡の長官」とだけ思っていてよくわからない。
ということで少し「太守」がどういったものなのかを書いてみようと思います。
ここで取り上げるのは主に後漢時代の「太守」とします。
間違っている所も多分にあると思うので、参考程度に留めておいてください。
まだ未完成だけど完成しそうにないので公開。

太守とは

州>郡>県とあるうち、二番目に大きい行政単位である“郡”の長官です。
官の位次を表す秩は二千石*1に相当し、中央の要職である三公、九卿につづく三番目の秩*2であり、相当高い位次にあるといえます。*3
この秩二千石というのは直接給与の額をあらわしているわけではありません。
ただ、秩の高さで給与額はだいたい決まっており、秩二千石の給与額は月に百二十斛*4でしたが、米のみで支給されたわけではなく、「半銭半穀」つまり銭と穀で支給されました。
後漢延平年間の支給例をみると「銭六千五百、米三十六斛」*5とあります。
おそらくその時の米の相場によって銭と米の比率は変わったものと思われますが、ここはよくわかりません。


太守は勅任官つまり、中央政府によって選出され派遣されます。
勅任官になるには満たすべき条件があったようですが、ここでは詳しく触れません。
条件があったことだけ頭の片隅に入れておいてください。


また、本籍地の太守となることは基本的に回避されました。
自身の本籍地だけでなく妻の本籍地も避けたようです。
大県の令(千石)や州刺史*6から昇進することが非常に多かったようです。*7

太守のおしごと

本題の太守の職掌です。
王隆『漢官解詁』には

太守郡を専らにし、庶績を信理し、農を勧め貧を賑わし、断辟を決訟し、利を興し害を除き、郡姦を検察し、善を挙げ悪を黜し、暴残を誅討す。

とあり、民政から刑罰まで広く取り扱います。
では具体的にその職掌の代表的なものを見てみましょう。


郡の人口二十万人につき毎年一人、孝廉を推挙します。*8当然郡人から選出します。
郡の属官から推挙されることが多いようです。


県の監察や功績の考査を行います。
春に属県を巡行します。名目は農耕と養蚕をすすめて、食料の欠乏を救うということでしたが、実際は属県の監察が目的であったようです。人材を発掘することもあったようです。
県は“上計”といって毎年九月に人口や収支、盗賊の多少などに関する報告書を所属郡へ提出していました。
上計では功が最も多い者は“最”とされ廷尉でねぎらわれ、逆に失敗の多い者は“殿”とされ、後曹*9で怠慢を叱責されました。


郡も上計を行います。毎年*10上計吏や上計掾を任命し、中央政府に送ります。
中央ではその上計は司徒が受けますが、実際には上計は尚書で考査されたとされます。


職掌に関する話は『漢書』薛宣朱博伝がオススメ。前漢だけど。

人事権

副官である丞は朝廷による任命*11でしたが、督郵や功曹など、そのほかの所属官吏の任命権がありました。
本籍地回避により太守はその土地の事情に暗いため、属官は郡人から選びました。*12
属官に関してはまた別にエントリを書くかもしれません。
県令が欠けた場合や、県令の能力がその域に達しない場合に太守が属官から選んで県令を兼任させることがありました。
県令は本来勅任官であるため、太守が任命した県令はそれと区別して“守○○令”と称されました。*13

またいつか続き書きます。

参考

大庭脩『秦漢法制史の研究』(創文社、1982)
福井重雅『漢代官吏登用制度の研究』(創文社、1988)
濱口重國『秦漢隋唐史の研究 下巻』(東京大学出版会、1966)
厳耕望『中国地方行政制度史―秦漢地方行政制度』(上海古籍出版社、1961)
安作璋、熊鉄基『秦漢官制史稿』(斉魯書社、2007)
孫星衍等『漢官六種』(中華書局、1990)
杜佑撰、王文錦、王永興、劉俊文、徐庭雲、謝方点校『通典』(中華書局、1988)
班固、班昭撰、小竹武夫訳『漢書』(筑摩書房、1977-1979)
范曄撰、李賢等注『後漢書』(中華書局、1965)
陳寿撰、裴松之注『三国志』(鼎文書局、1987)
房玄齢等撰『晋書』(中華書局、1974)
沈約撰『宋書』(中華書局、1974)
中央研究院「漢籍電子文献」http://hanji.sinica.edu.tw/

*1:“こく”ではなく“せき”と読むらしい。

*2:前漢だと九卿と二千石の間に真二千石がある。後漢においては二千石と真二千石は同じものとされる。

*3:ただ例外的に秩と官職が応当しない場合もあるようで、前漢の黄覇は秩八百石で太守となったり、(『漢書』巻八十九「黄覇伝」)劉焉らは九卿の秩(中二千石)のまま州牧(二千石)となった。(『三国志』巻三十一「劉焉伝」注引『続漢書』)

*4:斛は容積の単位でおよそ20リットル

*5:『続漢書』百官志注引『晋百官表』

*6:州の長官だが太守より秩は低く六百石であった

*7:厳耕望 任遷途径『中国地方行政制度史―秦漢地方行政制度』

*8:人口が四十万の場合は年に二人、逆に二十万に満たない場合、十万〜二十万だと二年に一人、十万以下だと三年に一人選出した。

*9:盗賊の事を掌る賊曹、法を掌る決曹を表すらしい。

*10:辺郡では三年に一度ということもあった。

*11:前漢代には兵事を掌る都尉も朝廷による任命。後漢に入り都尉は一部の郡を除き廃止

*12:首都近辺の三輔は郡人以外からも任用した。

*13:守官については他にもいろいろな用法があり、濱口重國「漢碑に見えたる守令・守長・守丞・守尉等の官に就いて」『秦漢隋唐史の研究 下巻』所収、や大庭脩「漢の官吏の兼任」『秦漢法制史の研究』所収に詳しい。