雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

黄忠と何進

後漢紀』卷二十五「孝霊皇帝紀下」
申屠蟠隱於梁、碭之間,免於黨人之禍,亦爲進所辟,逾年不至。進恨,欲脅以威刑,使同郡黄忠與蟠書曰(後略)

申屠蟠は梁、碭の間に隠れ、党錮の禁が終わると、また何進に辟召されたが、一年を過ぎても至らなかった。
何進は恨み、厳しい刑で脅そうとして、同郡の黄忠に蟠に手紙をださせた(後略)

この黄忠がもし何進と同郡ならば、南陽郡出身ということになり、蜀漢黄忠と同一人物の可能性がある。

ただ、後漢書を見ると

後漢書』卷五十三「申屠蟠傳」
使蟠同郡黄忠書勸曰

こちらでははっきりと申屠蟠の同郡と書かれている。

何進の同郡なのか、それとも申屠蟠の同郡なのか、どちらが正しいのだろうか。
後漢紀では「何進の同郡」という意味であったのに、それを参照した范曄が意味を取り違え、後漢書において「申屠蟠の同郡」としてしまったのかもしれない。


この黄忠があの黄忠と同一人物だったなら何進との関係が見えてきてちょっと面白い。