薛氏の系譜その3
だいぶ間があいてしまいましたが続きです。
薛氏の系譜
薛氏の系譜その2
生瑑,瑑生茂宣,茂宣生懷則,懷則生引孫,引孫生廣德,字廣德,御史大夫.
廣德生饒,長沙太守.饒生愿,為淮陽太守,因徙居焉.
生方丘,字夫子.方丘生漢,字公子,後漢千乘太守.
漢生彪,字輔國,司徒祭酒.訳:(薛鑒は)薛瑑を生み、薛瑑は薛茂宣を生み、薛茂宣は薛懷則を生み、
薛懷則は薛引孫を生み、薛引孫は御史大夫薛広徳、字を広徳*1を生む。
薛広徳は長沙太守薛饒を生み、薛饒は薛愿を生み、淮陽太守となったため、そこに移った。
薛方丘、字は夫子を生み、薛方丘は薛漢、字は公子、後漢の千乗太守を生んだ。
薛漢は薛彪、字は輔国、司徒祭酒を生んだ。
この中で史書に事績の残っている人は、薛広徳、薛漢の二人。
薛広徳
漢書によると字は長卿、沛郡相の人、元帝の頃に御史大夫となる。
温和であったが、御史大夫となると直言の士となる。
流民の発生の責任をとって引退する。
引退するときに安車*2を賜い、それは子孫まで伝えられたという。
薛漢
淮陽の人、父とともに韓詩章句で有名であった。
災異讖緯を説き、常に数百人に教えていた。
建武の初め博士となり、永平中に千乗太守となるが、
楚王英の謀反事件によって獄死した。
薛君韓詩章句を著したとされる。