雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

劉表の知られざる功績

『芸文類聚』巻五十九 武部 戦伐 所引、王粲『三輔論』 湘潛先生,江濱逸老,將集論雲夢,玄公豫焉。先生稱曰:蓋聞戎不可動,兵不可揚,今劉牧建紱垂芳,名烈既彰矣。曷乃稱兵舉眾,殘我●零。逸老曰:是何言與,天生五材,金作明威,長沙不軌,敢作亂違,我…

朱霊城

『太平御覧』人事部三十六「浴」所引、丘淵之『征斉道理記』 朱靈城東,有管寧舊宅。宅前有水,是寧常所澡浴處。 『征斉道理記』によると朱霊城の東に管寧の家があり、管寧は家の前の水場でいつも体を洗っていたという。 ここに出てくる朱霊城、どこにあった…

都落ち

このところ普通の日記ブログと化していましたが、本日、無事に都落ちしたので明日からは通常営業の予定です。 都は様々な文化的刺激があって素晴らしいですな。 改めて都という存在の大きさを実感し、長安や開封など諸王朝の都に想いを馳せることができまし…

兵馬俑展見てきた

昨日、東京国立博物館で催されている始皇帝と大兵馬俑を見てきた。 兵馬俑だけでなく当時の武器や日用品などの道具類の実物が見られ、史書を読むときにより一層イメージしやすくなったと思う。 また始皇帝陵造営労働者の墓誌の分析により判明した、土器や兵…

タイムリープ

この記事は2015/11/22, 22:51に書かれたものです。21日に書き忘れて嘆いていたところ、とある鳥さんからツイッターでタイムリープを使うよう啓示を与えられたので、試してみた。 案外簡単にタイムリープできるんやね! 今後もたまに使おう!

上京

東京に来た 兵馬俑展とガルパンの映画見てきます

やきう負けた

21日のチケット買ってたのに負けた つらいです…

劉表の墓

『水経注』巻二十八「沔水」 城東門外二百步劉表墓,太康中為人所發見,表夫妻其屍儼然,顏色不異,猶如平生。墓中香氣遠聞三四里中,經月不歇。 襄陽の故城の東門から二百歩(約300メートル)のところに劉表の墓があり、晋の太康年間に発見された。 劉表夫…

凌氏

凌統の子孫について書かれてたのでメモ 『元和姓纂』巻五 「凌」 衛康叔支子為周凌人、子孫以官為姓。呉志有都督凌統。晋有凌嵩。 【餘杭】凌統世居餘杭、二子、烈、封。八代孫嵩、晋広陵太守。貞元都官員外凌準、杭州人、云其後也。 【管城】唐魏王文学凌敬…

姜維と閻圃の子孫

『太平広記』画二 所引『大唐新語』 閻立本為右丞相,姜恪以邊將立功為左相。又以年飢,放國子學生歸,又限令史通一經。時人為之語曰。左相宣威沙漠,右相馳譽丹青。三舘學生放散。五臺令史明經。 『新唐書』巻一百 閻立徳、立本伝 既輔政,但以應務俗材,無…

蜀漢の姜太師と父

太平広記に蜀漢の話としてこんな話が引かれていた。 『太平広記』雑録八所引『王氏見聞』 蜀有姜太師者,失其名,許田人也,幼年為黄巾所掠,亡失父母。從先主征伐,屢立功勳。後繼領數鎮節鉞,官至極品。有掌厩夫姜老者,事芻秣數十年。姜每入厩,見其小過…

曹洪の家業

『太平広記』巻第四百三十五 畜獣二 所引王子念『拾遺記』 魏曹洪,武帝從弟,家盈産業,駿馬成群。武帝討董卓,夜行失馬,洪以其所乘馬曰白鶴,與武帝乘。此馬走,唯覺耳中風聲,脚似不踐地。至深水,洪不能得渡。武帝引首。上馬,共濟深水,行數百里,瞬息…

過去記事傑作選

ブログの過去の記事を見直してみると、書いたことを忘れているものが多々あった。 そこで、記憶の復旧とブログ再開記念も兼ねて過去の記事の中からそれなりに評判の良かったものや、気に入っているものを紹介することとする。 決して手を抜きつつ更新数を稼…

曹安民、安民県令説

だいぶ昔に下書きしていた記事で、内容については過去にツイートしたこともあるらしい(覚えてなかった) 曹安民、曹操の弟の子で、張繡の反乱で死んだ人物である。 安民は諱(名前)だの字だのと言われてきたが、ここに役職説を唱えたい。 当時、諱を呼ぶの…

思いつき

『三国志』蜀書十 李厳伝所引「亮公文上尚書」 ……領長史綏軍將軍臣楊儀、督左部行中監軍揚武將軍臣蠟芝、行前監軍征南將軍臣劉巴、行中護軍偏將軍臣費禕、行前護軍偏將軍漢成亭侯臣許允、行左護軍篤信中郎將臣丁咸、行右護軍偏將軍臣劉敏…… 李厳弾劾文に列名…

呉の厳氏と朱氏

『漢書』巻六十四上 朱買臣伝 會邑子嚴助貴幸,薦買臣。召見,說春秋,言楚詞,帝甚說之, 拜買臣為中大夫,與嚴助俱侍中。 前漢の呉*1の朱買臣は同郷の厳助の推薦により朝廷に仕えることとなった。 厳助は本来は荘助であったが、後漢の明帝の諱を避けて『漢…

蜀漢の封爵

手元にある『三国会要』の三国の封爵一覧を見ていてちょっと感じたこと。 封爵については調べたこともなく知識はないのだけど、県侯(県の名を冠した侯)>郷侯>亭侯のイメージがあり、『通典』によると魏はその序列らしい。 その違いに注目して蜀漢の封爵…

姜維州

俗業に追われるあまり三国志への没入を忘れ早三年 行きかう人に同好の士なく、ただいたずらに年を重ねていくばかり 思い立っては一歩にして躓き、二歩歩いては三歩下がる有様 そんな折、遠方の師友の言葉は、我が心に活を与え、惰性を揺るがすのであった。 …

また玉璽下賜しました。

本日行われた三国志フェス。 都落ちした私は参加できなかったが、一昨年に続き、今回も玉璽を下賜した。 例のごとく、エンペラーオブお笑い三国志の優勝記念品である。 今回作ったのはチ【虫离】龍印、紐(持ち手)の形は“みずち”という龍の一種であり、皇帝…

ラブライブ!ことりちゃんの壁紙を描いてみた。

長らく放置していたこのブログ。久々の更新がアニメネタという。 ラブライブ!2期10話に出てきた南ことりちゃんのスマホ壁紙を描いてみた。 ↑これ iPhone5用に1136×640のサイズで作ったはずだが1136×720になってた。 クオリティは察しである。 ちなみに私…

玉璽下賜しました。

先日行われた三国志フェス。 企画の一つに芸人たちが三国志ネタで皇帝を目指すエンペラーオブお笑い三国志というものがあった。 その優勝の記念品として私雲子が玉璽をつくった。 納期より五日ほど遅れてしまった上、粗さが目立ち、まだまだ技術の拙さが隠し…

段氏

『日知録』巻二十三、氏族相伝之訛 段氏。後漢書:「段熲其出鄭共叔段。」古人無以祖父名為氏者、凡若此類、皆不通之説。 按段氏当出自段干。史記:「老子之子名宗、宗為魏将、封於段干。」 魏世家有段干木・段干子、田完世家有段干明。 顧炎武さんが段氏の…

三国関係者の干支

先日、とある人が「自分は曹丕と干支が同じ、十二支だけじゃなく十干まで同じなんですよ」とお話しされていた。 それを聞いて三国時代(後漢末、晋初含む)の人物の干支を調べてみたくなったのでやってみる。 生年がわかる人物が少ないのでやりにくそうだけ…

中国史全文検索系サイト、三国時代関係用

知ってる人は多いけど、もしかしたら知らない人がいるかもしれないので。 新漢籍全文資料庫 http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihp/hanji.htm 「免費使用」をクリック。 あとは検索ボックスに検索したい文字をいれるだけ。 おもに正史が検索できる。 三国演義…

郤正の祖父郤倹の過去?

後漢代、宦官と清流派の争いが激しさを増し、太学は清流派に与して抵抗勢力となっていた。 霊帝はそれに対抗するため、あらたに鴻都門学という学校を設立した。 文章の才ある者や、書道の上手い人などが集められた鴻都門学であるが、「小人の才」として士大…

韓遂は衰退しました――漢末・魏初の涼州――

昔、東大さんとの合同誌にのせた文章を転載。 ワードのコピペでふりがなが読みにくい感じになってるけどなおすの面倒だからヨロシク! 全部で8400字くらい。 韓遂を中心に涼州の軍閥について書いたもの。 ネタがまったくないのでしょーじきつまらん。一夜漬…

後漢の学生運動

後漢代、太学生たちはしばしば集団行動を起こしていた。 『後漢書』列伝第五十五、皇甫規伝 其年冬,徵還拜議郎。論功當封。而中常侍徐璜、左悺欲從求貨,數遣賓客就問功狀, 規終不荅。璜等忿怒,陷以前事,下之於吏。官屬欲賦斂請謝,規誓而不聽,遂以餘寇…

皇甫嵩から皇甫謐へ

皇甫嵩といえば黄巾の乱平定の名将、皇甫謐は皇甫嵩の曾孫で『高士伝』や『列女伝』を著した。 『世説新語』文学第四、68注引、王隠『晋書』 謐字士安,安定朝那人,漢太尉嵩曾孫也。祖叔獻,灞陵令。父叔侯,舉孝廉。 世説新語によると、皇甫謐の祖父(皇甫…

牛金毒殺の時期

久しぶりの更新。 野球シーズンでブログはオフシーズンだからしゃーなし。 『晋書』によると、石に刻まれた「牛(牛氏)が馬(司馬氏)の後を継ぐ」という文を信じた司馬懿によって牛金は毒殺されたという。 『晋書』巻六、元帝紀 初,玄石圖有「牛繼馬後」…

応氏のはじまり

我々応氏がいかにして代々二千石を輩出する名家となったか、そのはじまりを紹介しよう。 『後漢書』列伝第三十八、応奉伝 中興初,有應嫗者,生四子而寡。見神光照社,試探之,乃得黄金。自是諸子宦學,並有才名,至瑒七世通顯。 後漢の初め、応嫗(嫗は名前…